プレーオフを制し、J1への昇格を果たした徳島ヴォルティス。
 かつてJ1を経験した選手が数多く揃う今季のチームで、異色の存在といえるのがDF藤原広太朗だ。立命館大学卒のルーキーながら、J2リーグ戦ではチームで唯一全42試合に出場。
 プロ加入までは主にセンターバックを務めていたが、徳島では中盤のサイドや、後にサイドバックとして、与えられた役割をひたむきに堅実にこなしてきた。

 自身は「シーズン当初からケガ人が多く、その穴埋めをする形で出場のチャンスを得ることができた。だから自分でポジションを掴み取ったという実感や、昇格に貢献したという手応えもないんです」と振り返る。
 だが、シーズンをとおして長島裕明コーチの言葉通り、「計算ができる選手」として、レギュラーを勝ち取り、チームに安定感をもたらしたといえるだろう。

 藤原は東京都板橋区出身。中学、高校時代をFC東京の育成組織で過ごした。
「よく見なければ、広太朗の良さはわからない」——。
 中学時代から藤原のことを知る本吉剛(現FC東京U-18監督)はいう。
「もともと、これだというストロングポイントをもつ選手ではありませんでした。けれどもサッカーに取り組む姿勢には文句のつけようがなかった。どういうポジションを与えても自分になりに考え、常に努力をしたし、ピッチ外での態度も変わらなかった。ある日、出来がよくない試合をした後に、彼が『ビデオを見たい。貸してほしいと』と言ってきたんです。どうするのか? と聞けば『チームメイトと一緒に見直したい』と。当時からサッカーは一人では守れない、チームで戦うということをよくわかっていた選手でした」

 当時のFC東京U-18は、MF三田啓貴(明大→現FC東京)をはじめ、個性豊かな攻撃陣や、抜群のキャプテンシーをもつDF畑尾大翔(早大へ進学)らが注目を集める常勝チームだった。そのなかで、藤原は決して目立つ存在ではなかった。しかし、日々、努力をコツコツと重ね、信頼厚い冷静沈着な不動のセンターバックとして、年間40試合以上にわたる真剣勝負を戦い抜き、チームを支えた。

 プロを意識し始めたのもこの頃だったが、トップ昇格は叶わなかった。
「周りには巧い選手がたくさんいて。たとえばF・マリノスで(齋藤)学くんや(端戸)仁くんがトップに昇格すると聞いて、プロになるのはこういう選手なんだなと納得していたし、自分はまだまだだなと」
 藤原は冷静に自分の実力と立ち位置をはかり、大学への進学を決意した。

 初めて親元を離れ、先輩も友だちもいない場所での日々には不安も感じていたという。しかし、関西リーグでは1年のときから、フル出場を続けて、その毎日も充実したものに変わった。4年生になると練習メニューを考えるようにもなる。キャプテンとして、120名以上にのぼる部員をまとめ、自身の練習が終わったあと、BチームやCチームのトレーニングを見ることも。

 立命館大学に進学後は、それまでのように話す機会は少なくなったが、折に触れて耳にする彼の近況からは、「全力でサッカーに挑んでいる毎日」が感じられた。

 全国的に有名ではなかったものの、『守備とフィード力に定評のあるセンターバック』として力を発揮し、4年間で欠場したリーグ戦はわずか2試合のみ。4年間最多出場賞も獲得した。
 藤原のリーダーシップと真摯な姿勢は仲間からも絶賛され、「広太朗くんのあとのキャプテンはやりづらい。広太朗くんのことを一度忘れなければ誰もできない」といわしめたほどだった。

「明日からヴォルティスの練習にいくんです。長距離バスで、けっこう時間がかかるんですよ」
 少し関西弁のイントネーションが交じる言葉で藤原が話してくれたことがあった。3年生のころから練習生として、京都から徳島へ通い始めたのだ。
「最初は本当に練習の人数合わせで、そのためだけに呼ばれていました。だから自分をアピールするようなこともできなかったし、プロにつながるとも思えなかった」と振り返る。
 それでも機会があるごとに参加要請を受け、4年の夏に1週間ほど参加をした際に、小林伸二監督に認められ、プロのオファーを受けることになった。

 晴れて、プロサッカー選手となった藤原だったが、サッカーへ取り組む姿勢は変わらなかった。

「彼にはプロとしてのベースが築かれていた。毎週末の公式戦で、勝っても負けても、自分に何が出来て、出来ないかを理解し、整理することができる。そして翌週の練習にフィードバックして、地道な成長をめざす。ブレずにチームのために頑張れる選手」と長島コーチは評する。

 プロ加入当初は「元気にフレッシュに」という目標も掲げていた藤原だったが、1シーズンを過ごしてみれば、「ぜんぜん新人らしくないと言われます(笑)。そこには、もっとルーキーらしく伸び伸びとプレーしてもいいよ、という意味も込められている」と自己分析する。
 この冷静な分析力が彼の成長を促した。それを支えていたのは、小学4年生から書き続けているサッカーノートだ。
 「自分のように巧くない選手は、どんな小さなこともおろそかにはできない」と、自身の力を客観視し、足りないものを感じ取り、それを埋めるための努力を重ねてきた。
 思えば、徳島での練習参加で、大学時代からプロのレベルを感じ、手にした課題を克服する作業を続けてきたからこそ、1年目でのレギュラーポジション獲得につながったのだろう。
 
 藤原が自身と誠実に向き合い、時間をかけて積み上げてきたものは、京都サンガとの昇格プレーオフでも活かされた。前半43分、徳島の2得点目の起点となるフィードを送り、後半にはGKが飛び出した自陣ゴールにカバーに入り、あわや失点という大きなピンチをしのいだのだ。彼がチームプレーに徹し、誰かのために走ることを厭わず、いつも周りを助けるための一歩を踏み出してきたことの表れでもある。
 そして、念願のJ1昇格を達成。 
 現在にいたるまでの道のりを「指導者にめぐまれてきたおかげです」と、謙虚に感謝の気持ちを述べる藤原。
 来季は、彼自身は想像もしていなかったJ1の舞台に立つ。

 「このままでは通用しない」と、厳しい世界が待ち受けていることも理解している。
 しかし、だからこそ、彼には迷いはないのかもしれない。ここまで続けてきた根気のいる地道なチャレンジは、環境が変わっても失われることはないだろう。
 高いステージに立つことで更なる課題に気づき、それを克服していくはずだ。
 よく見ていると、藤原広太朗という選手の良さがきっとわかる。J1での成長に期待したい。

【取材・文 藤原夕】