Jビレッジから日本を考える その1

刈部:日本には「一芸に秀でたものは……」のように一つのことをからいろいろなことを学べるという考え方があります。だったら、サッカーで人生に必要なことは学べることも可能だと思うので、サッカーから横断的にさまざまなことをドキュメントしているジャーナリスト木村元彦さんに登場いただき、サッカー界と社会の距離を考えてみたいと思います。

 ジャーナリストである木村さんがサッカーを通じて、ものを表現しようということになったきっかけはなんですか。

木村:サッカーそのものは、おやじフットサルですが、やるのも好きですし、見るのも好きです。サッカーを通じて取材を最初にしようと思ったのは、ユーゴです。取材対象を考えるときに、文化的なアプローチにせよ、歴史的なアプローチにせよ、必然があって、それはそれでいろんな学者やジャーナリストがやられていると思うんですけど、僕の場合はそのアプローチをサッカーで考え見たわけです。

 サッカーってその表出してくる瞬間が面白いんです。当たり前ですけど、一つのルールの上に乗って、11人対11人がやっているわけです。そこではどんな政治的、文化的なバックグラウンドを持っていようが関係なく、その絶対的なルールの上で戦っているわけです。ただ選手レベルで考えるとサッカーの場合は他競技と比べても、かなり自由度がある。野球みたいに一挙手一投足を監督がサインを送るというのではなくて、全部自分自身の判断でチョイスしていくという。

 それと、やっぱりサッカーはワールドワイドなスポーツであるということが大きいですね。世界というと日本人はグローバル・スタンダードという考えを持ち出しますが、でもそれは結局、アメリカのスタンドードでしかないというところがあるじゃないですか。決して世界的なものではなかったりするんですね。

 それに違った価値観というのは、いわゆる発展途上の貧しい国だろうが、紛争地帯だろうが、一つ一つ根付いていますし、可視化できるものとして非常に興味深いものなんです。これはよく考えると必然だったんですけど、ユーゴを回っていて、民族紛争の現場とかに行って、識者に聞いたり、現場を踏んだり、普通のアプローチで行きますよね。でもなんかもう一つ迂回したもので、新しい見方なり情報が欲しいとなって、サッカー協会へ行くようにしていたんですよ。そこで見えてくるものというのが結構面白かったですね。
刈部:確かにサッカー協会の会長って、何処かの国と違って、社会に対するステータスってそれなりにありますものね。

木村:僕は日本人ですけど、異国から来た、異文化から来たという異邦人がサッカーで一挙につながることできて、切り口としてどういうアプローチができるかが見えてくるんです。最初は協会がとうなっているかとか、こういう選手がいるとか、こういう監督がいてとか一般的な話でスタートして……。協会の歴史から人事まであれこれ話をしていくと、それまで不可視だったものが可視に変わる瞬間というのがあるんです。

 コソボなんかは典型的でしたけど、90年にミロシェヴィッチ・ユーゴ大統領(当時)の強権発動があってコソボでの自治権が剥奪されてからは、アルバニア人の選手たちはユーゴ代表の試合を全部ボイコットするようになる。ただ、その中でもやっぱり俺はサッカーが好きだからと言って代表に行くやつがいて、これはこれで裏切り者として叩かれるわけです。その選手に会ったときに、彼の葛藤というのが、なかなか一見のジャーナリストには伝わりきれないと思うんですが。でも、やっぱりむき出しになっているところがありますよね。

刈部:サッカーが媒介項ですから、話の共通項が多いわけで、すっと相手に入っていけますよね。

木村:とくにあの地域って本当に娯楽もへったくれもないんで、まあ、サッカーは祭みたいなもんですよね。本当の意味で。

刈部:まさに、試合会場はフェスティバルの中心ですね。

木村:良い悪いは別にしてですけど、それだけ人間の思いがむき出しになっている「場」なんですね。サッカー場とサッカーが。

 中東のカタールなんかは逆にもう、行ったら、金はいいんでしょうけど、王族のやっている箱庭みたいなサッカーで、サポーターがいないんですよ。ヨーロッパみたいに、都市国家間の対立が背景にあって盛り上がるというのではなくて、本当に砂漠のなかに点在しているスタジアムへ行くと、王族がロイヤルシートで、ただ見ていると。

刈部:代表戦でもチケットは王族がばらまいちゃいますよね。

木村:そうなんです。だから、動員数なんか関係ないですよね。オイルマネーで呼んでいるだけだから、あそこへ行ったヨーロッパの選手ってみんなやる気をなくすみたいですね。どんなに金がよくても、ここじゃやりたくないっていう。それはそれであの国のあり方っていうのが、見えてきますよね。マーケット云々じゃなくて、ここはもうオイルマネーだけでいいんだっていう。そのへんがちょっと面白いところかな。

■Jビレッジはどうなっているか
刈部:ところで、木村さんは3.11以降、原発の問題に関してJビレッジを中心におきながら、かなり丁寧に取材されていますよね。Jビレッジは今どんな感じですか。

木村:アエラの原稿にも書いたんですけど、Jビレッジは復興の一つの道しるべというか、北極星だと、佐藤栄佐久前知事が言っていたんですけど、それになりうるんじゃないですか。できた経緯から考えても納得できますが、原子力行政と交わって設立され、地域貢献を重ねて16年かけて培ってきたものがあって、それが3.11で全部飛んで、復興の拠点となっている、その構造が炙り出されていますね。あそこを描くということは、原発行政もそうだし、サッカーの力もそうだし、復興していく日本を、福島を描くことになるんじゃないかと。

 今懸念しているのが、これは去年、映画監督の園子温が教えてくれたんですけど、テレビを見ていたら、やたら髪の毛が多くて真ん丸く結っているおばさんが「日本国民なら、これからは福島ではなくて尖閣を見なければならない」って言ったそうです。その優先順位の付け方が酷いですね。

刈部:それってなんですか、おかしいですよ。

木村:そうでしょ。領土問題は大事だし、僕は石垣の漁師の人も取材したので、彼らがどう苦しんでいるのかというのも理解したつもりです。市議会は全会一致で市長と市議の尖閣の上陸決議を出しています。にも関わらず石垣の漁船が行こうとすると、海保の船が寄ってきて、行くなという。それこそどっちの国民を守っているんだ、という憤りを覚えますね。しかし、ヘジテイト財団で石原慎太郎が島を買うと言ったときに、彼らも寝耳に水だったわけですよ。国がやるべきことを都がやるというスタンドプレイ。募金は集まったけど、中国の日系企業にそれ以上の甚大な被害をもたらした。実際その石原も途中で放り出してしまった。尖閣問題を安直なナショナリズムを煽ることに使うなと思うんですね。

刈部:実は僕、香港で去年8月に上陸した連中を知っていましたから、そのあとすぐ香港で取材したんですよ。そうしたら、彼らも行けるとは思っていなかったって。石原慎太郎があんなことを言っている、どうやら買い上げるらしいぞ、買い上げる日にちは8月15日を目指すに違いない、みたいなことから、じゃあ、もう行っちゃおうとなって、実際に出た。でも、これまでは常に止められているわけですよ。香港政府、および中国政府に。台湾から行こうとしても、台湾政府に。で、今回も無理じゃあないかと思いつつも、でもとりあえず行こうと言って行ったら、行けちゃった。だから、彼らも上陸できるなんて信じてなかったんですね。要するに、そのときの権力者の考え方一つなんです。

木村:中国も国策だったんですよね。

刈部:そういうこと。彼らの仲間の一人なんかは、カミさんにも何も言わずに行ったから、いきなり、3日も4日も行方不明になって大問題になったという冗談みたいなことを言ってたけど。そういうふうに、どこかで政治家たちの思惑で現実が動かされています。

木村:そうなんですよ。それに使われていますよね。中国と日本と、竹島も含めて韓国とね。そこに惑わされてはいけないと思うし、むしろ国土の問題を語るのなら、福島抜きにして語れないじゃないですか。人が実際に住めなくなっているわけだから。それを置き去りにして、国土を守れって言うのは本末転倒でしょう。それはそれできちんとフォローしないといけないけど、福島よりも、って言い方はひどいなと思う。

 それこそJビレッジを書き続けたいなと思うのはそこですね。サッカー界は福島県に本当にお世話になってきたと思うんですよ。富岡高校と組んだアカデミーもそうです。

 これは原発とは関係なく、教育委員会とJFA、つまりは行政と競技団体が一緒になってエリートを教育しようという試みだった。しかし、今、富岡高校というのは盛岡郡山のほうへサテライト校として移転させざるを得なくなった。富岡の帰還はやはりかなり難しそうですね。線量もあるんですけど、行政サービスがどこまで戻るかというね。広野と楢葉は戻りつつあるんですけど、富岡は難しいかな。

刈部:広野と楢葉は戻っている?

木村:戻っていますね。楢葉は警戒区域が解除されました。線量も落ちたっていうんで。ただ、富岡は客観的に見ても厳しいようですね。Jビレッジの副社長の高田(豊治)さんはほんとうに自分が諦めたら終わっちゃうんで、とにかく絶対返してもらうまでは諦めないって言っておられますね。

刈部:高田さんというのは現場の責任者の方ですよね。彼がいたから、Jビレッジはいろいろなことにスムーズに応えられたと言われてますよね。

木村:副社長なんですけど、社長は福島県知事になっていますから、実質的な社長ですね。1回サンフレッチェに戻ってGMやって、また戻ってきたんですよ。で、そのあと3.11を迎えたという。高田副社長が言っていましたが、JFLアカデミーとは切り離して考える、と。

刈部:Jビレッジだけで考えるということですね。でも、Jビレッジは東電の復興本社になりましたよね。いくら元のお金は東京電力が出したとはいえ、持ち物としてはJビレッジのものですよね。

木村:ですから、家賃収入は得ています。家賃資金と賠償金で社員が食べているという状態です。

 4000人ぐらいの東電社員が福島へ行くという報道があったんですけど、あれはいわきとか郡山とか会津とか、担当所への人材投入ということなんで、Jビレッジ自体に4000人が入るというのではないんです。4000人も入ったら完全に乗っ取られたなという感じですけど、そうではないんですよと聞きました。

刈部:今までホテルのように選手たちが泊まっていたところは?

木村:あそこで事務作業をされたりしているようです。僕が通された部屋というのが、ホテルの会議室だったと思うんですね、やっぱり変な話ですけど、ほんとあつらえたような施設ですね。要するに中で働く社員向け、収束に行く社員の単身寮がどーんとスタジアムの中に建っていて、1000人ぐらいが今、住んでいますね。

刈部:その人たちは何をしているんですか。

木村:中での作業ですね。事務方もいるんですけど、1F(福島第一原発)の中での収束作業です。で、あとまあ、あれだけ広大な土地なんで、駐車場としても使えるし。変な話、Jビレッジがなかったら、どこを拠点にしてあの作業ができたんだろうって思いますよね。

刈部:そうですか、僕もJビレッジはできる前もできた後も、取材もしてあの地域に行ってますから、良くわかります。まるでそうした事態を見越していたんじゃないのというばかりの有り様ですね。

木村:そうですね。まあ、ご存知だと思いますが、Jビレッジの土地はもともと西武の堤康次郎が、旧陸軍の飛行学校を買いとって転がしていたんで、いわば自民党の利権ありきだったんですよね。

 それはともかくとして、前年の2010年夏にJビレッジは来場者が100万人を超えたと言ってましたね。だから、あそこはみんなが見ていかなければならない場所じゃないかと。そういう思いもあって。震災についてはそれこそいろんなジャーナリストの人が書いていますけど、自分がやるんだったらJビレッジをやらなければいけないと思って始めたことです。

 サンフレッチェの高萩(洋次郎)なんかは自分が一番影響を受けた指導者は高田さんだって言ってますよね。彼はいわきの子で、Jビレッジサッカースクール出身なんですね。
(続く)