2002年W杯、日本を熱狂に誘うスーパーゴールを決めた稲本潤一が、再び輝きを放っている。風間八宏氏が川崎フロンターレの新監督に就任して以降、ボールを「止めて蹴る」など、サッカーの本質とも言える基礎トレーニングの中で、サッカーをプレーする喜びを感じ、日々手応えをつかんでいる。さらに、レーシック手術による視力回復を施し、新たな視野を手に入れたとことも、稲本のモチベーションを後押しする。プレーヤーとして新たな境地に到達した稲本と、稲本の存在を子供の頃から知っていて、日本を代表するFWとして未だに誰も超えられない記録と記憶の中にいる釜本邦茂氏が、「視力=見ること」をきっかけにサッカー談義に花を咲かせてくれた。(取材協力:神戸神奈川アイクリニック、SOCCER KING)

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■二人を病院送りにした釜本伝説
釜本 レーシック手術を受けたそうやね。調子はどう?

稲本 まずコンタクトの手間がなくなって便利になりましたね。コンタクトだと、たとえば汗が入ったりすると目の中でずれたり、ぼんやりしたりするので、その心配が全くなくなったのはすごく助かりますね。

釜本 コンタクトってヘディングしたら落ちるでしょ。

稲本 いや、ソフトだったのでそんなには落ちませんでしたけど(笑)

釜本 昔は、ようおったで。試合中にコンタクトがポロポロ落ちるやつ。僕は経験がないからさ、みんな、落ちたコンタクトを拾って、目をかっ開いて入れようとしているのを見て、しんどそうやなって思ってた。昔はメガネをかけてた選手もおったけどね。

稲本 プレー中にですか?

釜本 そうよ。いっぱいおったよ。岡田(武史)もそうやったろ。

稲本 本当ですか? メガネかけてプレーするとか、考えられないですね。

釜本 昔、ゴールキーパーでメガネかけている選手がおってね、たしか日立の選手だったと思うんだけど。で、僕とぶつかったんや。バチーンと。

稲本 ケガしますよね?

釜本 ケガしたよ。メガネが割れてね。たしか秋の試合で、日立の人は、ヤンマーなんかに負けるはずはないと思っていたんだろうね。それが、和歌山の紀三井寺でやったときに、後半の15分ぐらいで2─0で勝ってたんよ、僕らが。それで縦パス一本が出たんや。で、僕が入っていって、向こうからゴールキーパーが出てきたもんだから、ぶつかる寸前にバッて避けたんや。だけど、負けてるからだいぶ頭にきてたんちゃうかな、その人。ガーンとぶつかりにきて、そしたらちょうど肘が顔面に入ってしもうた。そしたらメガネで切れて、プシューッと血が吹き出して、負傷退場しよった。そのとき、日立はすでに2人交代(当時は2人交代制)していたもんだから、フィールドプレーヤーがゴールに入ったんよ。で、また僕のところにいいボールがきて、右45度くらいの位置かな、ドーンとシュートを打ったんや。サイドネットに飛んでいったもんだから、「あっ、入った」と思ったら、その選手がパッと手を出した。そしたら薬指の先に当たって、中指との間が裂けてもうた。ガンガン血が吹き出てきて、そのときちょうど、負傷退場していたゴールキーパーのために救急車が来てたから、その人も救急車に乗っかっていった。

稲本 すごいですね、その短時間で2人血まみれですか(笑)

釜本 そうよ。それからちょっとシュート打つの怖なったよね(笑)。今でもそのゴールキーパーの人と会うと顔に傷があるしね、指が裂けた人も傷があるんちゃうかな。

稲本 ちなみにそれはゴールしたんですか?

釜本 いや、入ってへん。

稲本 ナイスセーブですね。

釜本 ディフェンダーだから足出すと思ってたんやけど、よせばいいのに手出したんだよな。信じられない。まあ、そんなことがありましたな。

■サッカー選手にとって目は命
釜本 レーシック手術っていうのは痛いんかい。

稲本 いや、全然痛くなかったですよ。目薬をさして、本当にあっという間、5分くらいで終わっちゃいました。

釜本 今の調子はどうなの?

稲本 すごくいいですね。

釜本 一時、試合に出てなかったじゃない。

稲本 そうですね。ケガ明けっていうのはあったんですけどね。でも、監督が風間さんに代わってからは、一回センターバックで出て、それ以降は中盤で出させてもらってますね。

釜本 中盤言うても、気質的にはあんた前の選手だもんな。前行けばいいじゃん。

稲本 はい(笑)

釜本 ワールドカップでゴール決めたんだもん。ああいうところで行ける選手なんやから。後ろで我慢できるような選手とちゃうでしょ。私とよう似とる。

稲本 まあ、そうですね(笑)

釜本 中学校のときからよう知っとるからね(※稲本はG大阪ユースの前身である釜本FCの出身)。当時、直接話はしてないけど、うちの息子なんかがよくあんたのことしゃべってたで。なんか、稲本は休み時間になったら、すぐ漫画読んどるって。で、宮本(恒靖)は参考書見とったって。

稲本 ははは。その辺の出来の違いは、まあ、今でもそうですね(笑)

釜本 だから目が悪くなったんちゃうか(笑)。参考書じゃ、目は悪くならへん。マンガの読み過ぎか。

稲本 わかんないですけどね。否定はできません(笑)

釜本 実際、目がよくなってプレーにいい影響は出てるの?

稲本 遠くまですごく良く見えるようになりましたね。それまでは、多少ボールがブレるときなんかもありましたから、それが全くなくなりました。それから、コンタクトをつけているときは、ナイトゲームのときなどは見にくかった気がしますね。けど今はほとんど感じないです。

釜本 サッカー選手にとって目は大事だからね。動いているものを見分ける動体視力というものがあるでしょ。僕もそいつを良くして、周りをよく見えるようにするために、普段から意識してたね。たとえば電車に乗っていても、パッと瞬間的に看板読むとかね。今はもう全然わからんけどね。

稲本 すごいトレーニングですね。

釜本 その当時は目を悪くしたらメガネをかけてやらなきゃいけないということがあったからね。僕はこう見えてもものすごく勉強しましたからね。だから夜寝る前に、目を良くするために、星の数をじーっと数えたりしてたね。星の名前はわからんけどね(笑)。そういうことを意識したことある?

稲本 いや、意識はしてませんでした。今は、多少フロンターレのサッカーの質が変わりましたから、周りをよく見るようによく首を振るとかっていうのはありますけど。相手とボール、自分と味方とか、スペースとかっていう、間接視野で見なきゃいけないものっていうのは、裸眼で見えるようになってすごくやりやすくなったように思います。

釜本 やっぱりね、年齢的にも、段々と落ちてくるからね。そういうところでカバーせなアカンね。

稲本 そうですね。いろんな場所を見れていないと、できなくなってくるし、その中で一番いい選択をするということが、すごく重要だと思うんで。そういうポジションだと思っていますので。だから、レーシックをしてすごく見えるようになりました。

釜本 それはいいことだね。

稲本 新幹線で看板を見るっていうのは、やってみようかなと思います。

釜本 でも駅名わかってるからな。

稲本 そうなんですよ(笑)。アナウンス流れますしね。

釜本 わかってたら読めてしまうわな。でも、そういうところをちょっとでも心がけるっていうのはものすごい大事なことよ。予測っていうのはすごく大事で、たとえば車を運転していて、窓を開けて左右をしっかり確認しなさいとか、よく言うじゃない。そんなことしていたら事故起こすわな。

稲本 ははは。

釜本 だからみんな予測よね。自分の車が走っていて、前の車がいて、3台前の車がブレーキをバッと踏んだら、ああ、前もブレーキ踏みよるなと、パッと自分もブレーキ踏まなあかん。たとえば路上にボールが転がってきたら、次何が出てくるかといえば、子どもよ。まあ今は大人でも出てきよるからね。だから何事においても予測っていうのはすごく大事なことだと思うし、それはサッカーの戦術の第一歩だと思いますね。クラマー(デットマール・クラマー)が来て言ったけれども、まず周りを見ろと。ルックアラウンドだね。それから次はシンク、考えろでしょ。それはサッカーの原則やな。

稲本 個人戦術ですね。

釜本 そうよ。最近は個人戦術というものがちょっと疎かになっている気がするね。全員が一定のレベルに達していないと、チームはガタガタになるからね。

稲本 昔は僕も、個人戦術とかは関係なく、ほぼ自前の能力でやっていました。でもそれが、たとえば日本ならできていたことが、実際にアーセナルに行ったときに、やっぱり考えるようになりましたね。どうしたら試合に出れるのか。このスピードの中で自分はどうやってボールを持つことができるのかっていうのは、考えました。僕より能力の高い選手ばっかりでしたからね。だから行ってよかったなと思っています。だから今のチームでも、僕はまだ伸びしろあるんちゃうかなって思いながらやれています。頭を使ってやったらもっとできるんじゃないか、もっとうまくなるんちゃうかなって思いながらやれていますね。

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■毎日練習に向かうのが楽しい
釜本 風間監督になって、練習の仕方もかなり変わったって聞いているよ。

稲本 そうですね。本当に、止めて蹴るっていう基本の練習がすごく増えてきて、高校とか中学に戻ったかのような感覚でやれているので、やっていて楽しいっていうのもあるし。それは、今フロンターレの選手全員が感じていることでもありますね。

釜本 風間は大学で監督をやっていたからね。やっぱり若い連中を教えていたことを、今チームで彼らに教えているっていうことはね、非常に僕はいいことだと思います。ものすごく新鮮味があるんじゃないかな。

稲本 そうですね。練習中でも試合中でも、しかも全員がそう感じているっていうのはなかなかないと思うので、それがすごいですよね。

釜本 勢いがついてきているということは言えるかもわからへん。選手たちがそういうふうに思いながらやれているっていうのはええことやな。目も良くなったし。

稲本 そうですね。見えるようになって、より可能性を感じられるというか。だからすごく、良いタイミングでレーシックをしたかなという感じはしますね。

■さらなるレベルアップを目指して
釜本 あんた今いくつや。

稲本 今年で33歳です。

釜本 まだまだこれからや。日本のサッカーを引っ張っていかないと。

稲本 そうですね。代表ももちろん、チャンスがあればっていうか、ヤット(遠藤保仁)があれだけできてますからね。

釜本 同い年やろ。

稲本 そうですね。

釜本 今のプロ選手と僕らの時代のアマチュアっていう違いは当然あるかもわからんけど、やっぱりね、1年間に2回ぐらいね、自分の体を徹底的に傷めつけないといかんね。シーズン前はもちろん徐々に落としていかないといけないけど、あるところで本当にとことん練習して、体を作りなおしてシーズンにまた入るっていうね。普通に練習しとったんじゃ、維持していくのが精一杯になるでしょ。ダラダラしとったら落ちていく一方や。まだ33歳じゃ、体力的にまだまだ鍛えたらできるんやから。あとは(頭を指して)ここが良ければな。

稲本 そうですね(苦笑)。年を取るごとに練習量は増やさないといけないなって思いますね。休んで、休んでだと、戻すのが大変になるなというのは感じています。

釜本 落ちていくのは早いからね。3日休んだらもう何もなくなっちゃう。だからやっぱりシーズンオフでも、なんかやっとかないとあかんな。頭は休めなあかんよ。体は別よ。1週間練習したって、そんなに疲れるもんじゃない。それは気持ちが疲れているだけでね。頭休ませないとあかんけどね。

稲本 はい。まあ、頭はずっと休憩してますからね(笑)

釜本 釜本FCで育った子やから、これからもがんばってください。

稲本 ありがとうございます。がんばります!

 稲本や、最近では本田圭佑も受けたというレーシック手術とはなんなのだろうか。レーシック手術の世界的権威であり、現在ではIMAB(オプティカルエクスプレス国際医療顧問委員会)の議長を務めるスティーブ・シャルホーン氏にも話を聞くことができた。

■正しい病院で、正しい手術を
 私はもともとアメリカ海軍でF14のパイロットを務めていました。パイロットというのはアスリートとよく似ていて、身体能力の高さが求められます。パイロット時代、能力が高くても視力が悪くて断念せざるをえない仲間をたくさん見てきました。こうした環境を改善しよう、そしてパイロットの視力を向上させようという思いから、医療の世界に入りました。

 海軍へのレーシック承認プロジェクトを指揮するにあたり、レーシック手術について研究を重ねました。どのレーザーとどのレーザーを組み合わせがベストか、もっとも信頼できるレーザーメーカーはどこか、試行錯誤の結果、ベストなテクノロジーを見つけ出しました。

 というのも、パイロットは普段の生活で経験することのない、G(重力)の影響を受けますから、手術のクオリティはとても大事なのです。さらにそうした経験があったからこそ、宇宙という未知の領域を含んだ、より複雑で、要求の高いNASAにもレーシック手術は認められたのです。レーザーは車の技術と同じです。安い車よりも高い車のほうが性能がいいでしょう。値段に比例するといっても過言ではありません。

 レーシック手術を受けるのが怖いと思われる方も多いと思います。もちろん、どんな手術でも手術前は緊張するものです。しかし、レーシック手術に恐怖を感じる必要はありません。たくさんの経験を積んだ「正しい医師」と、正しいテクノロジー、密なコミュニケーションと術後のしっかりとしたケアがある病院を選びさえすれば、安全な手術なのです。スポーツ選手に限らず、すべての人にとって、視力が回復することは、人生が変わることと同義です。ですから、私の所には、多くの人からの感謝が届いています。

■プロフィール
inakama_3Dr.スティーブ・シャルホーン
2007年NASA(アメリカ航空宇宙局)におけるレーシック承認や、2006年アメリカ海軍のレーシック承認に伴う臨床研究チームの責任者を務めた、屈折矯正手術の世界的権威の1人。オプティカルエクスプレスグループの医療向上を担うIMAB(International Medical Advisory Board:国際医療顧問委員会)の議長でもある。医師になる前は、アメリカ海軍において海軍飛行士、そしてトップガンのインストラクターとしてキャリアを積んだ(映画「トップガン」のモデルとなった)。海軍飛行士だった経験から、完璧な視力の必要性を感じ、より安全で効果的、より精密な視力矯正方法の追求に専念している。