「うまッ」
 前田遼一がボールを持ち、敵をかわす瞬間、後ろからそんな声が聞こえた。ベンチ入りしなかった相手チームの選手たちの声だった。11月3日浦和レッズ戦、前田は2得点をマーク。そして選ばれた日本代表でもタジキスタン戦途中から出場し、ゴールを決めている。
 2009年、2010年とJリーグ得点王に輝いた前田はまさにエースストライカーとしてジュビロ磐田をけん引している。
 
 前田に初めて会ったのは、2000年1月、彼が暁星高校3年時のことだった。すでにジュビロ磐田への加入が内定し、U−19日本代表の一員としても活躍していた。
「ドリブルが凄いですよね。俊輔さんみたいに、俺が頑張って、選手権へ出場したかった」
 桐光学園を率いて高校選手権で活躍した中村俊輔にあこがれるMFだった前田の夢は叶わなかったが、Jリーグのほとんどのクラブが彼の獲得に関心を示し、同年代最多のオファーが届いたと言われている。そして、練習参加を機に、ジュビロへ行くことを決意する。

「本当にね、楽しかったんですよ。サッカーをやるならここだって思った。中盤の選手が多いことに気がついたのは加入してからでした」
 当時、アジア王者にも輝き黄金期を迎えていた磐田。前田と同じMFには藤田俊哉、名波浩など日本代表クラスの選手の選手が名を連ねていた。ポジション争いの厳しさを忘れるほど、サッカーが楽しかったのだ。

 巧さはあるが、迫力が足りない。
 2001年から途中出場などで試合に出始めたが、ボールをもらってもキョロキョロと周囲を見回し、プレーが遅れる。中盤に限らず、レギュラーのほとんどが日本代表という磐田の中で、前田が委縮し遠慮しているのではないか? と考えることはたびたびあった。
 強豪クラブのピッチ内では、小さなミスも許さないという厳しい空気が常に流れている。若手へ叱責の声が飛ぶのも当然という環境である。
「遼一、俺のコース消すな!!」「途中から出て来たのにすべてが中途半端で何がやりたいのかまったくわからない」「お前の視野はどれだけ小さいんだ」
 先輩選手の怒鳴り声が前田に集中することも少なくはなかった。しかし、そんな場所でプレーすることを前田は楽しんでいた。
 当時のインタビューで忘れられない言葉がある。
「試合中に僕がシュートを外してしまい、振り返ると先輩がみんなズッコケてたんですよ」
 そう話す前田に笑顔はなかった。いたたまれない思いをしたに違いない。
「申し訳ないって気持ちになりますか?」
「ジュビロの先輩は試合になると鬼になるんですよ。怒鳴られても、ごめんなさいとは思わない。本当のことだから。へこまない。陰で言われるよりもずっといいです。今はこんなもんです、勘弁してくださいって感じです」
 きっぱりと話す前田からは、秘めた強さが伝わってくる。彼は傷ついていない。自信を失ってはいないんだと確信した。

 2001年ファーストステージ優勝を決めた試合、ベンチ入りも外れていた前田は言った。
「自分が出ていないから、そんなに嬉しくはないっすね」
 そして、新たな決意について語ってくれた。
「ユース代表のチームメイトはJリーグで試合に出ている選手も多い。僕も試合出場できるようにレンタル移籍とかを考えることもあったけど、ジュビロで試合に出ることを目標にしたい。そこからは逃げたくないです。今までも僕なりに頑張ってきたけど、それじゃあ、足りないんだってことを痛感しています。先輩はみんなもっと頑張っている。それ以上に僕も頑張らなくちゃいけない」
 その決意通りに少しずつではあったが、出場時間を伸ばしていった。

 2004年のアテネ五輪代表からは落選。当時五輪代表を率いた山本昌邦監督は「前田はFWじゃない」というコメントを残し、ボランチで起用することもあった。ジュビロではFWとしてプレーしていたというのに。このとき前田の心にはストライカーとしての意地が芽生えたように思う。
「僕の武器は、中山さん、高原さんという素晴らしいFWと共にプレーできる環境なのかもしれない」と語っていたこともある。共に練習しながら、ポジションを争いながら前田は先輩たちの姿からたくさんのことを学んだ。負傷による長期離脱後は、身体のケアへ細心の注意を払い、練習後も念入りなクールダウンを欠かさない。そんな姿からも先輩たちの影響を感じる。

 自身がゴールを決めてもチームが勝てなければ笑顔はない。チームが勝ってもゴールを決められなければ不満気な表情を浮かべる。
 2005年から今季まで2008年シーズンを除き、すべてのシーズンで二桁得点をマークしているが、世代交代が始まったジュビロの成績は低迷する。2008年には入れ替え戦も経験。気がつくと前田はすでにベテラン選手と呼ばれる立場になっていた。
「遼一が練習中に怒鳴ることもあるんですよ」
 チームスタッフが前田の変化について教えてくれた。

 ジュビロは前田が加入したころのような華麗なサッカーはできなくなった。パスもつながらず、コンビネーションもうまくはまらない。
「サッカーはひとりでは成立しない」
 そんな当たり前のことを感じる場面が多発する。ため息をつく試合が増える。実際にピッチに立つ選手にすれば、若い味方選手へイラ立ちを感じることもあるかもしれない。それでも、前田は言った。
「まあ、そこがサッカーの楽しいところでもあるから」
 トレーニングを重ねることで、分かり合い、感じ合える……。20代前半の前田が先輩たちのもとで成長したように、ジュビロも若手も必ず伸びる。そしてチームが進化すると前田は信じているようだった。
 だからこそ、自分自身がしっかりと仕事をしなければいけないと感じていたのだろう。それは彼が見てきた先輩たちの姿でもある。

 前線から激しいプレッシャーをかける前田はジュビロには欠かせない守備の起点だ。そしてどうしても押し込まれる展開になってしまうため、攻撃に人数が避けない。少ない好機で確実にゴールを決める。前田は攻守に走り回り奮闘していた。
 2009年シーズン同点弾となる初ゴールを決めた千葉戦のあとに彼は言った。
「今の自分が最低のプレーになるように頑張ります」
 今日よりも明日。向上することだけを彼は考えているんだと思った。そしてこの年、得点王に輝いた。

 口数の少ない前田は、記者泣かせだ。口癖かと思うほど「頑張ります」をくりかえす。機械的にその言葉を口にしているように感じる人もいるかもしれない。
 けれど、彼の中には本当にその言葉しかないのだ。
 そして、その言葉の意味の重さを彼は十分に理解している。
 頑張りがすべて報われるわけではない。頑張ればいい結果がついてくるとは限らない。
それでも、もっと巧くなりたい。もっとゴールを決めたい。もっともっとという思いがあるからこそ、頑張るしかないのだ。
 もちろん、ただただ頑張ればいいわけではない。努力の精度を上げることを意識しているからこそ、前田は年々進化できている。

 両足ヘディングとあらゆる場所で正確なシュートが打てる。そして、その高い技術を活かしたキープ力、豊富な運動量……と武器は多い。ルーキー時代「武器が無い、すべてが中途半端」と言っていた男は、「あらゆることを伸ばしたい」という願い通りに成長し、11月3日現在、Jリーグ通算ゴール数第4位に位置している。
 しかし、国際経験の乏しさは否めない。今後海外移籍を果たし、成長を遂げるだろう若い選手との争いに勝たなければ、ワールドカップ出場は果たせないだろう。

「ゴールを決められたのは良かったけれど、もっと長く試合に出られるように頑張ります」
 タジキスタン戦後もそんな風に語っていたという前田。
 アテネ五輪、ワールドカップでもメンバーから漏れてきた。ブラジルは最後のチャンスという思いも当然強いはずだ。
 それでも、彼にはまだ先のことをイメージする余裕はないだろう。
 実直に黙々と、そして淡々と……切磋琢磨に日々を費やすだけだ。
 その先に夢の舞台が待っているのか、夢が叶うのかは、わからない。だからこそ頑張れるんだと思う。