第7回 「今シーズン最終戦。」  文・山雄樹

「未来の為に共に歩み続ける 熊本にHIKARIあれ」

ロアッソにとってアウェイとなるキンチョウスタジアムでの今シーズン最終戦で、セレッソのサポーターがバックスタンドに掲げた横断幕だ。熊本地震発生から7か月以上がたち、こういった横断幕を見ると、「まだ忘れられていないんだ」という感謝の気持ちがわき起こり、ひときわ心安らぐ。

「HIKARI〜輝く未来へ〜」は、熊本市出身の歌手、水前寺清子さんが歌うロアッソ熊本応援イメージソングだ。2012年からユニホームの胸部分のスポンサーとなっている高橋酒造株式会社(主力商品は米焼酎白岳)が企画した曲で、2009年には「がんばれ!熊本」というキャンペーンを展開し、テレビコマーシャルには、水前寺清子さんとともに、ロアッソの選手達も出演した。

実際に、この年の8月16日にホームスタジアム、うまかな・よかなスタジアム(当時のスタジアム名はKKWING )で行われたJ2第34節水戸ホーリーホック戦では、水前寺清子さんが、試合前のピッチで歌声を披露した。また、この曲の作詞を担当した、熊本を拠点に活動するアーティストのタケルさん(当時は「鮫」というバンドを結成していた)は、「この歌は、もちろんロアッソ熊本の応援ソングだけど、熊本に住んでいる皆の応援ソングだと思って、熊本に住んでいる、熊本で頑張っている皆が、この曲を聴いて、嫌なこととか、くじけるようなことがあっても、頑張ろうって思うような曲を作ってほしい、そういう詞を書いてほしいと言われて書いた曲」と説明している。

ただがむしゃらに 負けても 諦めずに ボクらは歩いて行く 光を浴びて

という歌詞の一部だが、歌詞の一言一句が本当に心を打つ。熊本地震の後は、奮闘を続けるロアッソの選手達、応援するファンやサポーター、ひいては、それを伝える自分達の姿と重なり、なおさらだ。

独自の儀式「HIKRI」
ロアッソには、試合前に、「県民に元気を」「子ども達に夢を」「熊本に活力を」というクラブ理念が盛り込まれた文章を、子どもが読み上げる「絆宣言」、勝利後に選手とサポーターがチャントに合わせて踊る「カモン!ロッソ」と、他クラブにはない独自の誇れる儀式がある。「HIKARI」もそのひとつだ。フィールドプレーヤーがウォーミングアップ前にピッチに登場し、サポーターの前に整列する。サポーターは「HIKARI〜輝く未来〜」のサビの部分を「オー、オオオオー、オオオオオー、オオオオオー」と両隣と手をつなぎ、高く掲げ歌う。選手達は、肩を組み、それを聴く。ある選手は、目を閉じ、集中力を高め、ある選手は、サポーターの方をじっと見て、その思いを受け取る。

それは、2013年3月31日にホームで行われたJ2第6節カターレ富山戦から始まった。年代別日本代表を率いた経験を持つ吉田靖監督が就任し、その手腕に注目が集まったシーズンだったが、ホームでガイナーレ鳥取との開幕戦に逆転で敗れる(2対1)と、ホーム2連戦となったジェフユナイテッド千葉にも3対0で完敗。開幕からの5試合で1勝2引き分け2敗、ホームでは3試合未勝利。ホーム初勝利を目指して、ベテラン北嶋秀朗が同じくベテランの藤本主税(現・ロアッソジュニアユース監督)に提案したものだった。

北嶋に、あらためて由来を尋ねると「レイソル(柏)のときにタイのブリーラムというチームとACLで戦ったんですけど、そのときに、ブリーラムの選手がサポーターと肩を組んで、『HIKARI』のようなことをやっていたのを僕が見て、これをやりたいと主税さんに伝えたのが始まりだと思います」と教えてくれた。藤本も、当時のブログに「ウォーミングアップで選手がグラウンドに出てきた瞬間から、サポーターの想い、魂を、選手に送り込んで欲しいと願います」と綴っている。


未来につながる最終戦
11月20日、アウェイ・キンチョウスタジアムで行われた明治安田生命J2第42節セレッソ大阪対ロアッソ熊本。セレッソのサポーターからも、熊本地震からの復旧、復興を応援する横断幕が掲げられた。二度の震度7を記録した益城町出身の上村周平は、この試合、7試合ぶりにスタメンに名を連ねた。上村は、「一時期は、サッカーということを忘れるぐらいの時期もあったけど、こうやって1年通して、試合ができたということは、自分達の力だけではできなかったことだと思う。サポーターや地域の人、全国の人達が支援してくれたり、後押ししてくれたりして、こうやって1年プレーできた。本当にたくさんの人達に感謝の1年だった」と話した。

ロアッソは、この前の試合、ホーム最終戦となった第41節でFC岐阜に勝ち、J2残留を決めていた。それまでは、J3への降格を避けるために、まず勝点1を拾いに行く戦い方や、攻撃時に背負うリスクをできるだけ減らし、守備に重点を置いた試合運びを強いられてきたが、そんな戦いを過度にする必要もなくなった。スタジアムで会った、クラブ発足時から広報業務を担当する岩水香織氏(運営会社アスリートクラブ熊本・事業本部広報・運営グループ広報部長)も「選手達も明るいです。思い切って楽しくサッカーができると思います。きょうは(セレッソから期限付き移籍中の)小谷も帯同して、選手が飲むための水を準備して、さっきは『ボール拾ってきて』といじられていました」と語る笑顔もどこかほっとしたように明るい。

今年7月26日にセレッソからの期限付き移籍でロアッソに加入し、CBとして10試合に出場した小谷佑喜も、契約上、この試合に出場することはできないが、「臨時ホペイロ」として、遠征に帯同し、チームの裏方作業に汗を流していた。チームは、残留という「呪縛」から解き放たれ、最終戦にして、ようやく自由を手に入れていた。しかし、だからと言って、「開き直って、ただ思い切ってプレーしよう」というような安易、安直な考えではなく、GK佐藤昭大が「今シーズンの最終戦ということで、1年間、僕達がやってきた戦いを見せたいという風な意気込みを持って試合に臨んだ」と話すように、選手は皆「来季につながる試合をしたい」と口を揃えていた。


1−0敗戦というスコアの意味するもの
清川浩行監督が「最終戦なので、アウェイで勝点を取って熊本に帰ろうという全体の意識はすごく高かった。立ち上がりから圧力をかけて自分達のサッカーをしようと皆が表現してくれた。今年1年やり続けてきた、できるだけ高い位置からボールを奪いに行って、それを何とか攻撃につなげようということで、ボールを奪いに行く姿勢を見せて、攻撃に出た」と話した通り、ロアッソは、前半、チャンスを作る。

前半14分、右SBの園田拓也がハーフウェーラインから相手陣内に10mほど入ったところから、セレッソのDFライン背後、右のスペースに、グラウンダーでパスを流し込むと、50mを5秒台で走ることができるスピードを生かして飛び出した右WG齋藤恵太がボールを収め、PA内に進入。角度のないところからではあったが、DFを切り返してかわし、左足でシュート。惜しくもセレッソGKキムジンヒョンに弾かれた。齋藤は「前半のうちに決められるシーンがあったので、最後の質(が課題)。思ったほど、そこまで(セレッソの)プレッシャーが早くなかったので、前半のうちに決められるところで、決め切ることができればよかった」と課題を挙げた。

23分には、セレッソのFKを、その後のセカンドボールも含め、PA内で跳ね返すと、鮮やかなカウンター攻撃を見せる。左WGエースストライカーの清武功暉がCF平繁龍一にボールを預け、一目散にバイタルエリアを目指して、駆け上がる。清武が、平繁からのリターンパスをPA手前で胸トラップしたところを、セレッソの左SB丸橋祐介に倒された。正面でのFK。キッカーは、もちろん清武だ。

セレッソのGKキムの後ろに陣取るサポーターで桜色に染まるセレッソゴール裏の観客席から、大きなブーイングを受けながら、右足で放ったシュートは、綺麗な弧線を描きなら、ゴールに向かった。しかし、ゴールの枠の右角に近い、クロスバーを叩く。清武は、「良い位置でボールを奪えて、カウンターもしっかり出て行けていた」とカウンターアタックの成果を語ったが、その後のFKについては「狙い通りのキックだったので決めたかった」と悔しがった。

前半のシュート数は、ロアッソが4本、セレッソが7本。内容は互角、守ってもGK佐藤が、39分、この試合まで13ゴールを挙げているセレッソのエース杉本健勇の強烈なミドルシュートを防ぐなど、無失点で切り抜け、両チーム無得点で前半を終えた。

しかし、すでにリーグ戦での順位を4位で確定させ、翌週にJ1昇格プレーオフ準決勝を控えるセレッソが、ハーフタイムに修正を図り、後半キックオフ直後から、試合の表情は一変する。セレッソのキャプテン柿谷曜一朗が左45°やや後方でボールをキープすると、すぐさま日本代表MFボランチの山口蛍がアタッキングサードに顔を出す。その山口を経由して、右SBの松田陸へ。松田の右サイドからのクロスを、杉本が右足でボレーシュート。シュートはバーを超えたが、後半開始からシュートに至るまで、わずかに20秒。柿谷がハーフタイムに「俺らFWは、もっとクロスを入れてくれへんと攻撃できへん」とチームメートに訴えた通り、流れるようなサイドアタックだった。

この場面について、ロアッソの守備の要CB植田龍仁朗は「前半は、けっこうカウンターに行けたけど、後半の入りが悪くて30秒ぐらいで、やられてもおかしくないシーンを作られて、相手が外してくれた。相手も行けると思っちゃって、うちもそれで圧を受けて下がっちゃって、前と後ろがバラバラになってしまった。立ち上がりが年間を通しての課題」と語った。さらに、植田とコンビを組んだもう一人のCB薗田淳も「前半と後半で、違う試合になってしまったというのが正直なところ。自分達から主導権を握って、動き出しも速くて連動した攻撃ができていたけど、後半の立ち上がり、相手のプレッシャーをもろに受けてしまって、そこをはがせたら状況はもっともって変わっていたかと思う。相手に奪えるという雰囲気を作ってしまった」と話した。

後半、セレッソのシュートは二桁の10本を数え、一方、ロアッソは、途中出場のMF嶋田慎太郎が、32分にPA外、右45°から放ったミドルシュート1本だけだった。そんな劣勢にも耐え、柿谷や杉本が頭を抱えるシーンが続いたが、35分、カウンター攻撃から先制を許す。途中出場のFW巻誠一郎を狙ってボランチのキムテヨンがセンターサークル右から放ったFKをPA内で跳ね返すと、FW田代有三がつなぎ、DF酒本憲幸の右サイドからのクロスをPA内で柿谷がキープ、落としたボールを、最後は杉本が右足のアウトサイドにかけてシュート。回転がかかったボールはロアッソGK佐藤の手から逃げるように、ゴール右のサイドネットを揺らした。

清川監督は「後半の半ばぐらいで、体力的なものも含めて、行け行けになってしまったところで、少し中盤のバランスを崩してしまったところを突かれてしまった」、植田は「粘り強くやっていたけど、結局失点してしまった。(失点シーンは)カウンターだったので、リスク管理をしないといけなかった場面」と、失点の場面について話した。

このゴールが決勝点となり、1対0での敗戦。「来季につながる試合を」と臨んだ今シーズンの最終戦が終わった。
 

選手達の声
スコア上は惜敗だったが、選手達はいくつかの課題を口にした。平繁は、「前半はコンパクトに戦えて、何本かチャンスもあったけど、後半は相手に押し込まれる時間が長かったので、失点もしたし、残念な試合。相手からボールを奪ってショートカウンターだったり、落ち着いてつなぐところもあったりしたので、そこでゴールが欲しかったというのが一番思うところ」とストライカーとしての反省を口にした。

植田は、「後半は、相手に押し込まれて、奪っても出て行く力がなくなったように思う。そこで一個上げて行かないと。頑張って切り替えて行って、相手陣内に入ってボールを持てたら、時間ができるので、そういう展開にしたかったが、奪っても、つけたところで、すぐ取られて、悪循環ですぐ押し込まれてしまった」と、前半と後半との試合内容の違いに起因する体力の消耗を挙げた。

佐藤は「まず、この試合に入る前に相手がセレッソということで、個の能力が高いということで、1対1で守るのではなく、チームとして僕達が守るというところを意識して、全員でカバーし合った。0(無失点)で行けていた部分が長かったので、後は、そこの中で少ないチャンスを生かすということが足りなかった部分かなとは思っている。もっともっと質を上げることは、これから来季にむけて課題だと思っている」と、一定の手応えを感じながら、話してくれた。

また、薗田は「相手のプレッシャーをはがす能力が僕らのチームにはもっともっと必要。もっともっと、そこをはがせるようになったら、熊本が1つ2つ順位を上げたり、プレーオフを狙ったりできるようなクラブになっていくのかなと感じる。今まで、そういうプレーをしてこなかったので、それがもろに出た試合なのかと思う。前半のような、ボールを動かして主導権を握るサッカーというのは、今後の熊本の課題であるし、それを90分続けられるということが、今後、上の順位を狙えるようになる要因だと思う」と、試合が終わったばかりにもかかわらず、緻密な分析に基づいて冷静に持論を展開してくれた。


シーズンを振り返る
「自分達がボールを保持して主導権を握る」ポゼッションサッカーを構築するための時間はなかった。熊本地震発生から1か月間、リーグ戦から遠ざかり、延期になった試合は、夏場に過密日程という形で大きな負担となり、3週間でリーグ戦5試合、天皇杯2試合のあわせて7試合を消化しなければならない時期もあった。出番の少ない選手が格好のアピールの場とし、首脳陣も新戦力発掘の貴重な場とする練習試合も、地震発生から5か月が過ぎた9月19日のギラヴァンツ北九州戦まで組むことができなかった。「総力戦」をうたってきたが、コンビネーションやチームプレーの構築や成熟は、ほど遠く、清川監督も「選手が壊れてしまうか、壊れてしまわないか、ぎりぎりのところ」でのメンバー選考、選手起用を強いられた。また、失点を減らそうと、CBを3枚並べ、WBまで含めた「5バック」の布陣で臨んだこともあったが、指揮官が「急造だった」と振り返る通り、第21節セレッソ大阪戦(7月3日)は5対1、第10節延期分モンテディオ山形戦(7月6日)は4対1、第22節清水エスパルス戦(7月10日)は4対0と、中2日、中3日の連戦で、大量失点を重ねた。

守備的なシステム、フォーメーションの理屈は合っているのだが、それを自分達の戦い方として、落とし込むための物理的な時間がまったく足りなかったのである。さらに、21位、22位の「J3降格圏」との勝点の差も縮まり、シーズン開幕前「J1昇格プレーオフ進出」を目標に掲げたチームは、「J2残留」を現実的なノルマとせざるを得なくなっていった。

さらに薗田が振り返ってくれた。「日程の面で苦しいというのは正直なところだし、勝点3を狙うというよりも、ちょっと硬い試合展開が多い1年だった。もっともっと積極的に自分達で主導権を握る試合を増やしていかないといけなかった。前回(第41節岐阜戦)みたいに残留がかかった試合と、きょうの試合では、皆のモチベーションや、プレッシャーが違ったので、前半は、僕達が今後、こういう試合を続けていけたらいいなというゲームができたとは思う」。

今シーズンの成績は12勝10引き分け20敗、勝点46で、順位は昨シーズンの13位から3つ下がったが、16位でJ2残留を果たした。
「本当に苦しかったシーズン。それを本当に選手達が耐え忍んでここまでやってきたことに本当に感謝している。全員が被災したなかで、今シーズン戦ってきて、チームはなかなか結果を残せなかったが、選手一人一人は、人生のなかで厳しい大変な思いをしてきたことは紛れもない事実。来年のシーズンも、つなげて、熊本のために一所懸命やってくれると信じている」と、清川監督が、試合後の記者会見で、選手達を労った通り、チームが崩壊しなかったのは、皆が「熊本のために」闘ったからである。先頭に立って復興支援活動に取り組んだ巻、エースとしてゴールを量産した清武、益城町出身の畑実、森川泰臣、上村、嶋田だけでなく、皆が重い荷物を背負いながら力を尽くしたのである。


この経験をどう生かすか、それが大切なこと
薗田も熊本地震の後、故郷の静岡市に帰り、静岡駅前の地下道で赤いユニホームを着て、募金活動を行った。年代別代表に選ばれた経験を持つ逸材ながら、故障が多く、今シーズン、2シーズンぶりにリーグ戦出場を果たした。「ここ2、3年、怪我に泣かされ、1年間通してプレーすることができなかった。今年は怪我をしないことでチャンスをいただくことも多かった。ポジティブな1年」と語る。

今シーズン6ゴールだった平繁だが、熊本地震の後、初勝利となる第17節ツエーゲン金沢戦(6月8日・5対2)で先制ゴールを含む2得点、ホーム・うまかな・よかなスタジアムで初めて勝った第29節(8月14日・3対0)ジェフユナイテッド千葉戦での先制点、首位を相手にJ2残留に大きく近づく勝点3を得た第38節コンサドーレ札幌戦(10月30日・2対0)での追加点と、大事な試合で活躍が目立った。彼は「地震があったり、厳しい日程があったり、普通のシーズンではなかったが、チーム皆で戦った1年だった。サポーターの方もすごく応援してくれて、何とか残留を決められて良かった」と話すとともに、「(得点が)2桁に届かなかった(6ゴール)ので、そこは自分の力不足。来年またチャレンジしたい」と新たな目標を立てた。

J3の福島ユナイテッドFCから今シーズン加入した齋藤は、宮城県山元町出身で2011年の東日本大震災では実家が津波の大きな被害を受けた。熊本地震の後は、仙台市の繁華街や4月24日に行われたJ3第6節福島対藤枝MYFC、古巣のホームゲーム会場とうほう・みんなのスタジアム(福島県営あずま陸上競技場)で募金を呼びかけた。齋藤は「宮城のためという気持ち、そして、熊本のためにもという気持ちでプレーする」と、熊本地震の後、語ってくれている。そして、今シーズンを振り返り、「地震があって連戦が続いた厳しいなか、こういう試合日程を乗り切ったということで、来年からまた頑張れる。サポーターの声援だったり皆の復興に対する気持ちだったりがプラスプラスに働いた」と話した。

移籍1年目でキャリアハイの試合出場数を記録した選手もいる。J2のファジアーノ岡山から加入した植田は、36試合に出場した。2006年から2008年はガンバ大阪、2009年から2015年までは岡山でプレーし、2013年の34試合が最も試合出場数が多かった。「個人としては、すごく試合に出させてもらって、充実していた。チームとしては最後まで残留争いをした。チームの力になれなかった」と1年間について語り、なかでも熊本地震後の試合については、「僕達が下を向いていたらいけないし、はじめのうちは、皆やろうと思っていたけど、それがチームとして出なくて、空回りして、なかなか結果を残せなかった。そこで皆、下向くんじゃなくて、必死にもがいた。でも、トレーニングできなかったことが響いて、運動量の面で、何だか走り切れなかった。個人的には充実していたし、気持ち的はすごく苦しかったシーズン」と、複雑な胸の内を明かしてくれた。

佐藤は、J1鹿島アントラーズから加入し、インフルエンザで欠場した1試合を除く全試合、41試合でゴールを守り続けた。2005年から2006年はサンフレッチェ広島、2007年は期限付き移籍でJ2の愛媛FC、2008年から2009年は再び広島、そして、2010年から2015年は鹿島に所属、2007年愛媛で28試合、2008年広島で24試合に出場、どちらもJ2での数字で、2015年はJ1鹿島で10試合に出場している。

佐藤は、「自分としてもキャリアのなかで一番多くの試合に出させてもらって、また、この熊本の地で、いろんなことが起こったけど、そのなかで、チームメートと手を取り合って、チーム一丸となって、サポーターの皆さんの力を借りながら、何とか1年間、戦えたということは、本当に、いろんな人のサポートがあってのことなので、まずは感謝の気持ちでいっぱい」と思いを語り、「特別な、と言うか、あまり辛いとか、そういう表現はしたくないけど、なかなか経験することのできない特別な経験をしたので、大切なのは、それを経験したというだけじゃなくて、その経験をどう生かしていくか、ということが大切だと思う。今シーズン、経験したことを、また来季に生かしていく作業をしたいと思っている。
 それは、変則的なスケジュールのなかで1年間、戦った。あの夏場の連戦があった。それが、あったよね、経験したよね、というだけじゃ、だから(何?)という話になるので、それを経験したからこそ、どういう風にすればよかったのかということを次に生かして、来季は連戦のなかでも、今年は残念ながらその連戦は、うまく結果を出すことができなかったけど、夏場の連戦というのは必ずあると思うので、経験を生かして、もっともっと戦えるチームになっていきたい」と、実直な性格の通り、きっぱりと経験を生かすことの重要性を語ってくれた。

地震発生から、被災生活、リーグ参戦中断、過密日程など、苦境に立たされ続けた選手達。勝てない日々が続いたとしても、「言い訳にならない」と、取材する私からすれば、十分な建設的で客観的な理由や根拠になるだろうと思う、それらを、苦戦の原因に挙げることは、一度としてなかった。健気で強く、時に痛々しいほどひたむきな姿勢。放送席での実況中に、切なさを覚えることさえあった。だからこそ、心身の疲労を抱えながらも、炎天下の練習グラウンドに通うことができたし、厳しい連戦でもマイクに向かうことができたと思っている。そして、私が伝えてきた彼らの言葉や姿は、熊本県民が熊本地震から復旧、復興へ歩む力になっていると信じている。

水前寺清子さんが「HIKARI〜輝く未来へ〜」のなかで歌っている。

ただ がむしゃらに 負けても くじけずに 歩いた者にだけ 見えてくる
色鮮やかな 無数の星のような 眩しいきらめきが キミを待ってる



◇著者プロフィール:
山雄樹(やまさき ゆうき)
熊本放送(JNN・JRN)アナウンサー。1975年(昭和50年)6月16日、三重県鈴鹿市生まれ。立命館大学産業社会学部を卒業後、1998年熊本放送入社。主にスポーツの中継アナウンスや取材、番組制作を担当。系列のアナウンサーの技量を競う「アノンシスト賞」では、「テレビスポーツ実況」部門で二度、「ラジオスポーツ実況」部門で一度、九州・沖縄ブロック審査で最優秀賞、2015年度は、全国審査で優秀賞を受賞した。
 チーム発足時からJ2ロアッソ熊本の取材や応援番組の司会を続け、2008年のJ2参入以降は、スカパー!Jリーグ中継でホームゲームの実況をつとめる。