第5回 「J2残留決定。」  文・山雄樹


「僕らを支えてくれたサポーターや、熊本の皆さんに、感謝の気持ちしかないですし、点数で言うと、かなり低いパフォーマンスだったと思いますけど、残留できましたし、未来につながるような1年だったと僕自身は思っています。今年、経験した事を、今後も継続して、自分達のチームの中で共有して、来年はJ1を目指せるようなポジションに行きたい」と、巻誠一郎は語った。

ロアッソは、11月12日(土)、今シーズンの41試合目、ホーム最終戦で、FC岐阜に1対0で勝ち、J2残留を決めた。

うまかな・よかなスタジアムで行われた明治安田生命J2リーグ第41節、ロアッソ熊本対FC岐阜。ロアッソのホーム最終戦は、勝点43で18位のロアッソと、勝点40で19位の岐阜、ともにJ2参入9年目、J2残留をかけた「同期対決」だった。ロアッソは引き分け以上で、J2残留が決まる。つまり、残留まで、あと勝点1まで漕ぎ着けていた。
 
ファンやサポーターの入場口近くのコンコースに、Jリーグクラブを中心に全国のサッカークラブのフラッグが縫い合わされた「絆のフラッグ」なるものが飾られていた。フラッグとともに掲示されていた資料によると、45チームの74枚のフラッグをつなぎ合わせたものだ。それぞれにメッセージが書き込まれていた。普段は、宮城県南三陸町の伊里前福幸商店街に飾られ、東日本大震災からの復旧、復興を応援している。

そのフラッグを、この日のために運んできたという長野県松本市に住むJ2松本山雅FCサポーターの男性が、ミサンガを配っていた。「潮風でフラッグが駄目になってしまうんですよ。でも、そのフラッグで、このミサンガを作っています」。そして、こう続けた。「まだ、皆さん、仮設住宅に住まれています。『復興』という言葉が『元通りになる』という意味なら、まだ0%ですよ」と、穏やかだが、力強い口調だった。

男性から勧められるままにミサンガを1本、受け取った。色は、もちろん、ロアッソのチームカラーである赤を選んだ。男性は「浦和かもしれないですよ」と笑った。
「大丈夫です。ロアッソ(当時ロッソ)が県内で最初に対外試合を行ったのが浦和レッズですから」と、クラブが発足した2005年2月20日に、このスタジアムで行われた練習試合の事を話そうと思ったが、スカパー!Jリーグ中継の放送開始時刻が迫り、時間もなかったので、後ろ髪を引かれる思いで、7階にある放送席に向かうことにした。もちろん、サッカーファミリーの絆の強さや、復興の難しさ、そして、実況アナウンサーとして、この一戦を伝えられるありがたさを感じながら。

熊本地震の被害を受けたうまかな・よかなスタジアム。今シーズンは最後まで、バックスタンドでの観戦、応援はできなかったが、この試合では、全国のJリーガー、サッカーファンやサポーターからのメッセージが書かれた大きなフラッグ、熊本地震発生直後のJリーグの試合で各地のサポーターが熊本へのエールを送ろうと掲げた横断幕が張り出された。フラッグの大きさは、縦20m、横30m、白地に「がまだせ 熊本 負けんばい」の文字。向かって右にロアッソのエンブレム、左にハートを抱いた、熊本県のマスコットキャラクターくまモン。白地の部分に、「どんな時も仲間です」「共に前へ」「負けるな熊本!」と、熊本を激励する言葉の数々がびっしりと書き込まれていた。

勝点1で残留が決まるロアッソだが、試合前、清川浩行監督は、「勝点1でもいいという現実は、どちらかと言うと難しい。岐阜は、絶対に勝点3を取りにくる戦い方をしてくる。一瞬でも受けてしまうと我慢を強いられる事になる。選手起用、交代も含めて、勝ちに行くというところに矢印を向けたい」、巻誠一郎も「あと勝点1というのが一番難しい。下のチームは必死に戦ってくる。一瞬の隙も作らず、気持ち、気迫が、相手を上回るような精神状態で臨まないといけない」と、簡単ではないゲーム運びを予想し、気を引き締めた。

先に決定機を迎えたのは、やはり勝点3獲得を目指す岐阜だった。レオミネイロと難波宏明の2トップが前線から猛然とプレスを掛けてくる。前半17分、難波がロアッソのCB小谷佑喜にヘディングで競り勝つと、続けて、右SBの園田拓也、もう一人のCB植田龍仁朗との混戦をレオミネイロが制する。PA付近でボールを収めたレオミネイロに、植田、GK佐藤昭大までがかわされ、ゴールが空き、絶体絶命のピンチに。PA内、正面から右足で流し込むレオミネイロ。しかし、植田が懸命に戻って、滑り込み、ゴールライン上でブロック。まさに、ゴールを死守した。

「前の試合で、(レオミネイロは)GKを抜いて、点を入れるという形があった。それを見ていたので、かわすんじゃないかと思った。最後、諦めずに、かわされたところで打ってくるだろうなと、シュートを打ってくるタイミングでブロックできて良かった」と植田は振り返った。予測と諦めない姿勢が生んだビッグプレーだった。

そして、先制点は、やはりこの男から生まれた。前半35分、左サイドを起点に丁寧にパスをつなぐロアッソ。
「片山、そして、岡本。平繁スルーして清武、ヒールでキムテヨンへ、キムテヨンからグラウンダーのパスで園田、良い形だ。グラウンダーのクロスから清武。決まりました。ロアッソ熊本が綺麗な崩しを見せました。清武のゴールで先制しました。今シーズン12点目。J2残留に近づく大きな大きな先制点となりました」(スカパー!Jリーグ中継での私の実況アナウンス)

GK佐藤の自陣深くからのFKから実に9本のパスをつないでのゴール。
左SBの片山奨典、左SHの岡本賢明を起点に、2トップの平繁龍一、清武功暉も崩しに加わり、ボランチのキムテヨンを経て、右SBの園田へのサイドチェンジ。最後は、園田のクロスを清武が体を開きながら、左足のインサイドでゴール左隅に流し込んだ。清武は、右のコーナーフラッグのところで大きく飛び跳ねながら、右の拳を下から上に突き上げるガッツポーズ。その後、11月4日に長男・朝陽(あさひ)君が誕生した中山雄登を「ゆりかごパフォーマンス」で祝った。チームメートからの祝福に、この試合はメンバー外、観客席から戦況を見守っていた中山は両手を高く掲げて大きく振り、感謝した。チーム一丸だ。

清武は右足を痛めていた。11月6日(日)に同じくホーム、うまかな・よかなスタジアムで行われた前節、第40節の京都サンガF.C.戦で相手DFとの交錯により、右足首を打撲。足を引きずるような仕草を見せたものの、90分間フルタイム出場した。2対1で敗れたが、後半41分、齋藤恵太のゴールをアシストしている。大事なホーム最終戦への影響を懸念した私は「自分から交代させて下さいと言うような性格ではないのはわかっているけど」と前置きした上で、清武にきいたが、「アドレナリンが出て痛くなかったんですよ」という言葉が返ってきた。

ホーム最終戦3日前の練習風景それでも、ホーム最終戦の3日前、試合前最後に公開された練習では、別メニューでの調整を強いられていた。(写真)トレーニングで激しい球際の攻防を見せるチームメートに対し、グラウンドの周囲を1人、走り込んでいた。練習後、清武に具合をたずねた。「ちょうどボールを蹴る所だから痛いんですよ」とスボンを捲り上げて、患部を見せてくれた。右足首の内側に、相手選手のスパイクの跡と思われる小さな傷が数か所あり、くるぶしを覆うほどの広い範囲が内出血により黒くなっていた。
「あと2日あるから大丈夫ですよ。痛み止めも飲みますし」と清武は話したが、その表情は、いつもピッチ内で見せる自信に満ちたものとは違い、どことなく心配そうに見えた。
「もう1回ぐらい、ゴールを実況させて欲しいから」、私なりの精一杯の激励だった。清武は、「岐阜戦までは頑張ります」と、白い八重歯を覗かせて、ようやく笑顔を見せてくれた。


清武は、責任感、使命感が強く、ロアッソのファンやサポーターにとって、実に頼りになる存在だ。昨シーズン、2015年7月1日にJ1サガン鳥栖から期限付き移籍でロアッソに加入。加入当時のロアッソの順位は20位で、そこから清武は19試合に出場し、4試合連続を含む7ゴールを挙げ、チームの順位を一時、9位(第37節終了時・J1昇格プレーオフ進出圏内6位ジェフユナイテッド千葉との勝点差4)まで押し上げる原動力となった。今シーズン松本山雅FCでプレーするGKシュミットダニエル(6月1日加入時21位・出場26試合失点20)とともに、ロアッソの救世主となった。

「僕が来た時、ロアッソは低迷していて、ダン(シュミットダニエル)や僕が結果を残して、このチームをプレーオフまで上げるという強い思いがあった」と昨シーズン、清武は思いを語った。だからこそ、第40節、ホームで水戸ホーリーホックに1対1で引き分け、J1昇格プレーオフ進出が極めて難しくなった時は、人目を憚らず、赤いユニホームを涙で濡らした。「期限付き移籍だろうが何だろうが、熊本への思いが強い」、清武は常々ロアッソの一員であることの誇りを口にしてきた。

期限付き移籍2シーズン目となる今年、清武はエースナンバーの10を背負ってプレーしている。開幕戦では、かつての盟友、松本のシュミットダニエルからPKでゴールを奪うと、5試合で4ゴール。チームも、クラブ史上初の開幕3連勝(第1節1対0松本山雅FC、第2節1対0徳島ヴォルティス、第3節1対0東京ヴェルディ)、第5節まで4勝1引き分けの無敗、こちらもクラブ史上初となる単独首位に立った。清武は、その貢献度の高さからリーグの2月、3月のMVPに選ばれた。

熊本地震に襲われた直後は、出身地の大分市に帰ることもなく、クラブハウスや車の中で過ごした。「怖かったので、知らない人でもなるべく他の車の近くに停めました」、「監督とクラブハウスのトレーナールーム(治療やマッサージを受ける部屋)のベッドで寝ました。滅多にない機会でした」と、25歳の若者らしく、地震後の出来事を素直な表現で話す一方で、「プロサッカー選手として、できる事は何か、考える事が多くなった。応援して下さっている皆さんに僕達がすごく支えられている事を再認識した。熊本に力を届けるために、しっかりやらないと」と、決意を語ったのだった。

ホーム最終戦前、清武はあらためて、言った。「プロとして、周りの支えへの感謝を感じたシーズンだった。避難所に行ってサッカーをしても、いつもありがたい言葉を掛けていただいた。月間MVP、開幕3連勝、単独首位、リーグ復帰初戦の千葉戦、うまスタ復帰戦のセレッソ戦、地震の後、うまスタで初めて勝った徳島戦といろんな事があったけど、地方のクラブは多くの人に支えられていることを実感したことが一番だった」。

清武のゴールで先制したロアッソ。清武は、「左から良い展開で自分も関わりながら良い崩しができた。ソノ君(園田)が良いボールをくれたので流し込むだけだった」とゴールシーンを振り返った。

後半28分、平繁に代わって巻が投入される。地震発生直後からいち早く救援物資を集める拠点を作り、避難所などを訪れ、復旧支援活動を先頭に立って引っ張った巻には、やはり大きな拍手が送られた。巻は「チームの中の1人としてチームが勝つために全力でプレーする」という信条通り、前線から懸命にボールを追った。

42分、齋藤に代わって嶋田慎太郎がピッチに向かうと、さらに大きな拍手が沸き起こった。二度の震度7に襲われた益城町出身で、今年21歳になる嶋田と上村周平が、大きな物を背負って必死に戦ってきたことを誰もが知っている。サポーターが最高のスタジアムの空気を作った。アディショナルタイム、嶋田は、右45°、得意な角度から利き足の左足を振り、シュートを放ち、ゴールこそならなかったが、見せ場を作った。

そして、試合終了。1対0、ロアッソは、勝ってJ2残留を決めた。ピッチ内の選手は、抱き合い、皆が笑顔だった。清武は「苦しいシーズンだったが、ホームで最後に勝って、残留を決められたのは嬉しかった」、巻は「勝利のために1つのボールを追いかけて、全力で、皆でゴールを守って、皆でゴールへ攻めて、本当にチーム一丸となっての勝利だったと思う」と喜んだ。

あるサポーターは「辛かった地震。共に戦ってくれてありがとう」という言葉が書かれた横に長い紙を選手達に向けて掲げていた。巻は「チームメートと言うか、チームの中の1人として、サポーターの皆さん、1人1人が戦ってくれました。『ともに戦う』というような言葉がぴったりだと。一緒に戦ってもらいましたし、一緒に喜びましたし、一緒に悔しがりましたし、絆がより一層深まった1年だったと思います」とサポーター達への気持ちをやや早口で興奮気味に話してくれた。

試合後のセレモニーの挨拶では、運営会社アスリートクラブ熊本の池谷友良社長が「本当に厳しいシーズンだった。選手は泣き言も言わず、歯を食いしばり最後まで諦める事なく戦って走り抜いてくれた」、清川浩行監督は「この1年、本当に厳しいと言うか、辛いと言うか、私よりも選手達が歯を食いしばって我慢しながら本当に頑張ってくれた結果だと思う」と、選手達を労った。

つくづく思う。選手もファンやサポーターも、チームもクラブも、それを伝える私達も、皆が、地震にあっても奇跡的に残った熊本城のあの「一本石垣」のように耐えに耐えた1年だったと。そして、ロアッソも、Jリーグも、サッカーも、熊本地震からの復旧、復興の歩みを続けていくのだと。


◇著者プロフィール:
山雄樹(やまさき ゆうき)
熊本放送(JNN・JRN)アナウンサー。1975年(昭和50年)6月16日、三重県鈴鹿市生まれ。立命館大学産業社会学部を卒業後、1998年熊本放送入社。主にスポーツの中継アナウンスや取材、番組制作を担当。系列のアナウンサーの技量を競う「アノンシスト賞」では、「テレビスポーツ実況」部門で二度、「ラジオスポーツ実況」部門で一度、九州・沖縄ブロック審査で最優秀賞、2015年度は、全国審査で優秀賞を受賞した。
 チーム発足時からJ2ロアッソ熊本の取材や応援番組の司会を続け、2008年のJ2参入以降は、スカパー!Jリーグ中継でホームゲームの実況をつとめる。