第2回 「頑張ろう、熊本。ありがとう、長崎。」  文・山雄樹

熊本地震の後、3度目となったロアッソ熊本のホーム・うまかな・よかなスタジアムでのゲームは、「バトルオブ九州」、V・ファーレン長崎とのダービーマッチ。

リーグ戦後半の成績は、このゲームまで4勝1敗とリーグトップ、元来の粘り強さを取り戻した長崎を率いるのは、かつてロアッソの指揮を執った高木琢也監督だ。長崎の監督に就任して4シーズン目。これは横浜FC、東京ヴェルディ、ロアッソ、長崎という監督歴のなかで最長となったが、それまで、もっとも長く監督を務めたのはロアッソでの3シーズンだった。

熊本と長崎の対戦成績は、ここまで熊本の5勝1分1敗、ここ4連勝中、6試合負けなし、ホームでは負けなしの2勝1分という、熊本にとっては「相性が良い」と言える数字が残っている。かつて指導を受けた熊本の選手たちは「勝利こそが恩返しになる」、「プレーで成長したところを見せたい」と強い意気込みで臨んだ。

ロアッソ在籍7シーズン目の最古参となった片山奨典は、「高木さんは、戦う姿勢を教えてくれた監督です。勝負にこだわることや、サッカーの本質を教えてくれました」と語る。

これまでの対戦での熊本側の得点者が、ルーキーイヤーからプロとしての心構えなどの教育を施された仲間隼斗(現・カマタマーレ讃岐)、齊藤和樹(現・ジュビロ磐田)、ヴァンフォーレ甲府から移籍後、持ち前の技術に加え、球際の強さなど、いわゆる「ハードワーク」を叩き込まれた養父雄仁と、高木監督が特に手塩にかけて育てた選手というのも、決して偶然ではないだろう。試合後、高木監督が、冗談交じりに「あいつ、俺が監督をしていた時には、あんなプレーできなかったのに」と悔しがったこともあった。熊本の分の良さには、こうした背景もあるのだ。

クラブのスタートはともに2005年、同じ地域リーグの九州リーグで凌ぎを削った。地域リーグからJFL・日本フットボールリーグへの昇格は、ロアッソが2006年、長崎が3年後の2009年。J2参入は、ロアッソの2008年に対し、長崎は遅れること5年の2013年。しかし、長崎はJ2参入後、2013年、2015年と3シーズンで2回、熊本が一度も経験したことのないJ1昇格プレーオフ進出を果たし、熊本は「J1昇格争い」という意味では後塵を拝している。加えて、昨シーズンまで4年間、熊本の「背番号10」を背負ったMF養父雄仁が、今シーズンから長崎の「10番」としてプレーしている。さらに、ロアッソを率いるのは、2010年から3シーズン、ヘッドコーチとして、高木監督を支えた清川浩行監督だ。2人は、1967年生まれ、同い年である。

熊本と長崎、両クラブの歴史的な、また、人的な因縁が色濃くあり、有明海を挟んだダービーマッチは、クラブ発足時からスタジアムで声を枯らす、いわゆる「古参」、近年応援し始めたという「新参」、どんなサポーターにとっても、また、スカパー!Jリーグ中継で実況を担当する私にとっても、心待ちにしている対戦カードのひとつである。そして、今年、その思いが、より強かったというのが、私の偽らざる気持ちだ。

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「僕自身も、この熊本で3年間を過ごしました。テレビの映像から伝わってくる、地震の被害を受けた熊本の風景は、すべて自分の知っているところばかりで非常に悔しい思いがありました。早く、少しでも何かの役に立ちたいという気持ちがありました。微力ですが、熊本に来て、子ども達と接することができました。何か詰まっていた物が抜けたような気持ちになりました」

高木監督は、熊本地震発生から約2週間後の4月27日、復興支援活動のため、熊本市東区の東海大学熊本キャンパスにある松前記念サッカー場を訪れていた。キャプテンの村上佑介、昨シーズンまでロアッソ熊本でプレーした養父雄仁、高校サッカーの名門、熊本県立大津高校出身の松本大輝の3選手とともに、近くにある熊本市立西原小学校に避難する60人の子どもたちと交流した。

午前中から強く降り続いていた雨も、復旧、復興を願う気持ちが天に通じたのか、開始予定時刻の午後2時になると止み、そこから2時間、休みなし、大きな体躯でボールを追いかけ、蹴った。

「今、復興が始まったばかり。少しずつ、必ず一歩一歩前進していくと思います。自然豊かで美しい熊本の街の復興を願います」
 そう語る高木監督の髪や額は、びっしょりかいた汗と再び降り出した雨で、濡れていた。

2010年から3シーズン、ロアッソを率いた高木監督。「最後まで諦めず、ラスト15分で点を取るサッカー」を目標に掲げた就任1年目の2010年は、開幕から5試合負けなしの好スタートを切ると、前年の14位から大きくジャンプアップした7位でフィニッシュ。もちろんクラブ史上最高順位である。最終年となった2012年は、クラブが債務超過で経営問題に直面し、苦しいチーム編成を強いられながらも、シーズン終盤にリーグ戦5連勝、天皇杯全日本サッカー選手権4回戦進出というクラブ記録を残した。
 そんな高木監督もまた、今、地震からの復旧、復興のために力を尽くす熊本の人達と同じように、熊本の街が好きだ。

高木監督は体調管理に余念がなく、ロアッソの監督をつとめていた時には、お決まり、かつお気に入りのランニングコースがあった。余談だが、自慢でもあるので記すが、熊本市民の水道水はすべて(100%)地下水である。蛇口からは、夏でも冷たく、おいしい水が出る。その象徴とも言えるのが、熊本市の中心部から南東に約5km離れたところにある江津湖。長さが2.5km、周囲が6kmの湖だ。この湖を囲む形で熊本市水前寺江津湖公園がある。ボートを漕いだり、サイクリング用の自転車に乗ったり、釣りに散歩、それぞれが思い思いの時間を過ごし、市民の憩いの場となっている。その景観を眺めながら、高木監督は、湖畔を走った。

激戦の疲れを癒す場所も必要だった。時間が取れたときには、車を走らせ、南阿蘇に向かった。雄大な阿蘇五岳(高岳・中岳・烏帽子岳・杵島岳・根子岳)の姿を静かに眺めた。特に阿蘇方面では、自身の趣味に合うカフェやレストランを見つけることが多かった。

熊本地震で、熊本市水前寺江津湖公園の園内の道路には亀裂が入ったり、管理棟のガラスが割れたりするなどの被害が出た。今も、園内には立ち入ることができない場所があったり、去年、熊本市の大西一史市長の肝いりで5年ぶりに復活したばかりの花火大会が中止に追い込まれたりした。それでも、数か所ある、天然の湧水プールは使用することができ、連日35℃以上の猛暑日となっている熊本で、市民の心と体を慰めている。

一方で、被害がより深刻なのは、南阿蘇村だ。なかでも、交通の要衝となっている長さ200mの阿蘇大橋が、土砂崩れの影響で崩落してしまった。国道57号線の西側の斜面が、長さ700m幅200mに渡って崩れ、橋を飲み込み75m下の黒川峡谷の底まで流れ落ちた、その惨状は、あまりにショッキングなもので、村民の生活面からも、観光面からも大きな痛手となっている。

熊本県は、高木監督がロアッソに在籍していた時にも、大きな災害に見舞われたことがある。2012年の九州北部豪雨。7月11日から14日にかけて記録的な豪雨が、熊本、大分、福岡の3県を襲い、熊本県内では23人が亡くなり、2人が行方不明となっている。福岡管区気象台の資料によると、住宅への被害も床上浸水が1912棟、床下浸水が1748棟。阿蘇郡高森町から南阿蘇村、菊池郡大津町・菊陽町、熊本市を流れ、有明海に注ぐ一級河川の白川などが氾濫したことにより、沿岸の住宅には大量の泥が流れ込んだ。

その直後の7月15日、ホームで行われたJ2第24節京都サンガF.C.戦、ロアッソは、1対0で惜敗したものの、高木監督は、試合後の記者会見で「こういうことは初めて言ったのですが、『きょうは熊本を代表して戦うんだ』と選手たちに伝えました。選手たちには、被災された方に勇気や元気を届けてほしかった」と、九州北部豪雨で傷ついた熊本のために奮起を促したことを明かした。

さらに、3日後の18日には、高木監督の提案で、練習後、チームスタッフと選手全員で熊本市北区龍田地区を訪れ、「泥出し作業」のボランティア活動に汗を流した。この日の熊本市の最高気温は、当時、シーズン最高の35.8℃という猛烈な暑さで、屈強なアスリートたちも、2時間の作業で精一杯だった。

「大都市のクラブより地方のクラブが勝ることができる点は、地域・社会に貢献していること、クラブ、選手を身近な存在として感じられること」と、高木監督は語っていた。また、「メディアの人間なら、絶対に経験しておいた方が良い」という助言を受け、私も勤務が休みの日に二度、「泥出し作業」に参加した。

「クラブやチームが日本のスタンダードを目指すのと同じように、メディアの皆さんにも日本のスタンダードに達してほしいんです」と、ロアッソの監督時代、クラブとメディアとの懇親会の席上で、高木監督が話したことがある。「だから、僕はメディアの人たちに厳しい言葉を投げかけたり、厳しい態度で接したりするんです」と言うほど、熊本のサッカーメディアの質が向上すること、ひいては熊本にサッカー文化が根付くことを強く望んでいた。現役時代「アジアの大砲」と呼ばれた日本代表FWに上り詰めるまで鍛錬に鍛錬を重ねた高木監督が、自身で「厳しい態度」と表現するぐらいなので、発せられるオーラは相当なもので、まず、そこに畏敬の念を抱かされた。また、練りに練られた戦略や戦術を理解することができず、取材中に、暑さによるものではない汗をかいたことが正直、何度もある。

それでも、食らいついていくぐらいの心構えで、取材に臨めば、高木監督から教わること、学ぶことが本当に多かった。対戦相手の分析のためには最低5試合は映像を見る。自らパソコンの編集ソフトを使って、選手に対戦相手の特長を伝えるための、映像を編集した。その映像も、スローモーションにするなどの加工を加えたり、字幕まで作成したり、放送局に勤務する私も驚くほどの、工夫を凝らしていた。中京大学を卒業し、高木体制2シーズン目の2011年にロアッソに加入したFW齊藤和樹のためには、専用の映像を編集し、英才教育を施した。齊藤は「ポストプレーなどが本当に勉強になった」と話す。齊藤も、また、課題や反省などを記した「サッカーノート」を高木監督に提出し、思いに応えようとしていた。その齊藤は、昨シーズン12ゴール、自身初となる二桁得点をマークし、J1・ジュビロ磐田に「昇格」した。

高木監督は、「熊本に来てから、毎日3、4時間しか寝ていない」と語るほど、チームを勝利に導くため、選手を育てるため、粉骨砕身、作業に没頭していた。

試合後の取材では、私が実況中に気付くことができた作戦、気付くことができなかった戦術、戦略について「答え合わせ」をさせてもらうことで、サッカーの理解を深めることができた。

現在、長崎の取締役社長をつとめる池ノ上俊一氏には、昨シーズンまでスカパー!Jリーグ中継、ロアッソのホームゲームの解説を8年間つとめていただいた。若くして日本代表MFとして活躍し、高木監督の大阪商業大学時代の一学年上の先輩にあたる。

「テレビのチャンネルを変えれば、違うネットワークの番組が見られるのと同じように、人との出会いによって、自身のネットワークも大きく変わる」という言葉を、池ノ上氏からもらったことがある。放送局のアナウンサーである私にとって、実に分かりやすい喩えだった。その言葉通り、私自身の人脈も大きく広がり、この「Football Weekly」とのつながりも、高木監督の取材を通して生まれたものだ。
そして何より、池ノ上氏をして「ストイックすぎる」と言わしめるほどの高木監督の仕事への責任感、使命感の強さは、私自身も仕事への取り組み方、向き合い方の甘さを痛感し、その甘さをなくそうと決意するほどだった。

熊本地震の被災地、復旧・復興支援活動に、高木監督は、ロアッソ時代と同じように長崎のチームスタッフ、選手全員で参加したかったのだが、当時、熊本市の災害ボランティアセンターは、4月22日に設置されたばかりだった。さらに、作業に必要な人数、定員に対し、ボランティア希望者が多く、受付を担当した学生スタッフが「朝9時からの受付開始前に定員に達してしまい、希望者に謝りながら断りを入れ、水を手渡した」と話すなど、作業に参加できない人が続出した日もあった。まだ、受け入れ態勢が十分でなかったため、結局、高木監督をはじめ、3人の選手が、4月27日、ロアッソ選手会による「サッカー交流会」に合流した。

ロアッソのキャプテン岡本賢明の出身小学校、熊本市西原小学校に避難する子どもたちを対象に行われた「サッカー交流会」。ロアッソからは、黒木晃平、鈴木翔登、睫一誠、金井大樹、小牧成亘、そして、巻誠一郎達が参加した。「アジアの大砲」の高木監督と、「利き足は頭」と評される巻が、同じチームでミニゲームに参加する光景は、取材していて心躍るものだった。

長崎復興支援活動
  <4月27日・熊本市東区の東海大学熊本キャンパスでの復興支援活動。
左から、金井・黒木・小牧・高木監督(長崎)・睫・鈴木・巻の各選手>


汗だくの両者が握手をし、巻が「きょうは、ありがとうございました」と頭を下げた。高木監督が、避難所を中心に物資を届けたり、サッカー教室を開いたりしている巻の活動を「すごいね」とたたえれば、巻は「人並みのことをしているだけです」と謙遜した。

「チームの再建、再活動は大変だと思いますが、同じサッカー人として、サッカーファミリーとして、応援したいです。僕らも今の状況を打開して、いいチームに仕上げていかなくちゃいけないですし、ロアッソも良いチームになっていくと思います。そういう意味でも頑張ってもらいたいですし、次の対戦が楽しみです」と、高木監督は、当時、第9節を終えて1勝4分3敗、勝点7で19位と下位に低迷していた自チームの浮上を誓うとともに、古巣にエールを送った。

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あれから3か月半が過ぎた8月7日。うまかな・よかなスタジアムでの明治安田生命J2リーグ第27節、ロアッソ対長崎。気温31.2 ℃、湿度70%、暑さ指数(WBGT)を計測の上、熱中症対策により「飲水タイム」が設けられた過酷な環境下での試合となった。

あの時の「約束」通り、長崎は後半戦5試合で4勝を挙げ、通算成績でも8勝9分8敗、勝点は33、順位も10位まで上げて、好調でこのダービーマッチを迎えた。一方のロアッソ、この日、36歳の誕生日を迎えた巻は、腰に違和感があり、2試合連続のメンバー外。スタンドから戦いを見守ることになった。巻について「熊本のために頑張ろうという強いメンタリティー。試合に出るのと出ないのとでは、試合に影響が出るほど大きい」と高木監督は、その存在の大きさを話していた。

「清武選手については、絶対に止める」と選手たちに指示していたと言う高木監督の言葉通り、チームトップの8ゴールを挙げているロアッソのエース清武功暉を徹底マーク。清武は、長崎の出足の早いディフェンスで自由を奪われた。セカンドボールも拾われ続け、ロアッソは、チームとして、前半1本のシュートを放つこともできなかった。

巻は、後手を踏まされるチームメートの姿に、「『もっとやれるだろ』というもどかしい気持ちで見ていた。戦術や技術よりも球際で戦う部分、走ること、さぼらないことは、一番忘れちゃいけない、サッカー選手としての根底にあるもの」と熱を込めて、語った。

後半17分、長崎は、右サイドからのスローインからPA内の永井龍へ。J2得点ランキングトップ、長崎のエースストライカーをマークしたのは、ロアッソ植田龍仁朗だった。J2・ファジアーノ岡山で7シーズン、中心選手としてその堅守を支え、今シーズンロアッソの一員となった。ロアッソに加入した今シーズンも24試合のうち、22試合にスタメン出場を果たしている守備の要だ。しかし、永井は、その植田のマークをワンタッチパスでかわすと、そのパスに反応した白星東が走り込み、シュート。ロアッソのGK佐藤が弾くが、長崎の右WB岸田が、ファーサイドに転がったボールをフリーで押し込み、長崎が先制に成功する。

さらに、後半45分、ロアッソは、前がかりになったところを、長崎の中盤、宮本から山なりの1本のパスで、永井に背後を取られる。永井は、PA内に懸命に戻った植田を切り返して、かわすとゴール右隅にシュートを決めて、2対0。大きな追加点となる。

一方、「キヨは、少し自由度と言うか、余裕を持たせることで、選手の個性を引き出そうとしている」と高木監督が、指揮官としての特長を表現したロアッソの清川監督は、後半18分、左利きのテクニシャン嶋田慎太郎、25分、技巧派MFの岡本、34分、高さとスピードが武器の齋藤恵太と、特長が際立つ攻撃的な選手を投入し、流れを手繰り寄せようとする。
 選手交代は奏功し、36分には、齋藤が右サイドを突破し、岡本とのワンツーからクロスを供給、41分、嶋田のシュートは左のポストを叩くなど、長崎のゴールに迫った。

そして、後半アディショナルタイム3分、岡本がPA手前からミドルシュートを放ち、長崎GK大久保が弾いたところに、清武が詰め、さらに、最終ラインの植田が、機を見て攻撃参加。仰向けに倒れこみながら、利き足ではない右足でシュートを放ち、ゴールネットを揺らした。

「懸命にDFの植田が押し込んでいった。表情変えず、『戻れ、戻れ』というジェスチャー。体を張りました、植田龍仁朗。1点返しました、熊本。魂のゴールでした」(スカパー!Jリーグ中継での私の実況アナウンス)

ゴールのなかのボールを清武が拾い、一目散に自陣に戻り、キックオフに備えるロアッソの選手たち。
さらに、アディショナルタイム3分、睫のハーフウェーライン付近からのFKが、ゴール前の競り合いの上を抜け、左サイドの深い位置にいた上原へ。ラストチャンス、上原のクロスがファーサイド岡本に収まったかに見えたが、プロフェッショナルレフェリー、山本雄大氏の判定は、無情にも岡本のハンド。スコアは2対1のまま、熱戦に終止符が打たれた。

植田は、「1失点目も2失点目も僕が絡んでいるところがあった。チーム皆に迷惑をかけた。どうしても、ちょっとでもチームのためにと思ってやった結果、最後に点を取れた。技術どうこうより、気持ちの面で入れることができた」と振り返りながら、「ホームなので、絶対に勝ちたいという気持ちがあった。負けてしまったら、あまり(得点の)意味はない」と、最後まで険しい表情を崩すことはなかった。

それでも、高木監督は、「熊本も、連戦で苦しい状況のなかでも、試合やトレーニングをしている。今は、サッカーの戦いのなかで、違う部分、メンタル的な要素が、このチームに非常に強くあると思います。そこと対戦するのは、正直、ものすごく難しいゲームになると思いましたし、その通り、なかなか最後、楽に勝たせてもらえなくて、今の熊本の強さ、対戦するチームとしての難しさだとつくづく感じました」
と、実に3シーズンぶりに、ロアッソを相手に勝点3を得ることができた安堵の表情を浮かべながらも、自身の肌で感じたロアッソの奮闘をたたえた。

2010年から3シーズン高木監督が、このチームに、この地に、必死になって植えつけようとした、最後まで諦めず、戦う姿勢は、息づいていた。


◇著者プロフィール:
山雄樹(やまさき ゆうき)
熊本放送(JNN・JRN)アナウンサー。1975年(昭和50年)6月16日、三重県鈴鹿市生まれ。立命館大学産業社会学部を卒業後、1998年熊本放送入社。主にスポーツの中継アナウンスや取材、番組制作を担当。系列のアナウンサーの技量を競う「アノンシスト賞」では、「テレビスポーツ実況」部門で二度、「ラジオスポーツ実況」部門で一度、九州・沖縄ブロック審査で最優秀賞、2015年度は、全国審査で優秀賞を受賞した。
 チーム発足時からJ2ロアッソ熊本の取材や応援番組の司会を続け、2008年のJ2参入以降は、スカパー!Jリーグ中継でホームゲームの実況をつとめる。