第2回 パブでの出来事

笹木


 半地下になっている店は薄暗い。
 窓から店内の様子をのぞくと、大きな男たちがテレビを囲んで、ビールを飲んでいた。
ウィークデーのど真ん中のある日、時計の針はまだ午後の終わりくらいで、日本人の僕の感覚だと、まだビールを飲むには早いと感じる、そんな時間。
 それでも店内からは、静か熱気が伝わってくる。決して気軽に入れる雰囲気ではないけれど、気がつくと店の少し重たいドアを押し、吸い寄せられるみたいに、店内へ足を踏み入れた。

 待っていた誰かが来たのかというように男たちの視線はテレビからドアのほうへ移ったけれど、そこに立っているのが見知らぬアジア人だと気付くと、何もなかったみたいに、またテレビへと戻った。
「いらっしゃいませ」とか「お好きなところへお座りください」とか、そういう挨拶もなく、店員はカウンターの向こうで、忙しそうにグラスを洗い、ビールをついでいた。

 空いている席を見つけて、そこに座ると、初めてバーテンダーの視線を感じた。それでも注文を取りに来るという様子はなく、手を動かしている。僕は立ち上がり、カウンターへ向かって、1パイントのビールを注文し、それを手にして、ぼんやりとテレビを見ていた。

 週末にやっていたプレミアリーグの映像がそこにはあった。試合が終わってもう数日が経っているというのに、店内の客たちはその試合にくぎ付けだった。

「兄ちゃん。この選手のことどう思う?」
 男が話かけた相手が、僕自身だということに気がつくのに、少し時間がかかる。
「こいつはね、テクニシャンなだけど、パワーがなぁ……物足りないんだよ」
 僕が答える前に男が話し出す。ネイティブの英語を理解するのに時間がかかり、キョトンとしながら笑うしかない僕の事情はまったくお構いないしで、男の話は止まらない。

「だけど、2シーズン前のユナイテッド戦ではいいゴールを決めたじゃないか」
 別の男がいきなり、話に割り込んできた。
「まあ、でも守備がなぁ……」「俺は認めないね」「いやいやお前はわかってないよ」
 第三の男が登場し、男たちのサッカー談義は加速度をつけながら盛り上がり、花開く。そのど真ん中に座る僕は、笑顔を絶やさず、彼らの顔を順番に見ることしかできない。

「ここからだよ。そうだ、そこでワン・ツーで、打て! ゴォオオオオオオール!」
 すでに何度か見たからだろう。頭の中に刷り込まれた得点シーンをなぞり、そう叫んだ男は、満足そうに僕の肩を叩く。その大きな手のぬくもりをなんだか素敵だなと感じた僕は、とても幸せな気分に包まれていた。一言も言葉を交わしてはいないというのに、肉体労働者風の男たちの輪の中で、経験をしたことのない居心地の良さを味わう。

◇  ◇  ◇

 20歳になった僕は、札幌で細々とバンド活動をやっていた。
 ちょっとした縁があり、イギリスで演奏活動ができることになり、バンドのメンバーと海を渡り、ロンドンへとやってきたのは、今から4年くらい前のことだ。
 ライブハウスなどでのオーディションを受けたりしながらも、週末はプレミアリーグを見に行きたいという野望も秘めていた。

 2002年のワールドカップ日韓大会は、中学生だった僕にとっては、大きな衝撃と共に始まった。
開幕戦で前回王者のフランスがセネガル代表に負けてしまったのだ。
「セネガルってなんだ? なぜこんなに速く走れるんだ? どうしてこんなに高く飛べるの? 世界にはこんなすごい国があるんだ」
 “これも”サッカーなのかと思うシーンをその大会中、何度も何度も見た。Jリーグのコンサドーレ札幌が基準だった僕は、そのW杯で世界の大きさ思い知らされたのかもしれない。
 
 中田英寿さんがセリエAへ移籍すると、父親がすかさずスカパーに加入したので、セリエAの試合を見るようにもなった。もちろんWOWOWでリーガエスパニョールも見始めた。夢中になって見ていた時期もあったけれど、イタリアの試合の堅さや重さに少し物足りなくなる。世界選抜と言われたレアル・マドリーには、低迷していたバルセロナも歯が立たない。もっと面白いものがあるはずだと考えていた僕の興味は、次第にプレミアリーグへと移っていった。

 そんな時期の渡英。初めてのマッチデーはロンドンだった。スタンフォード・ブリッジへ出かけたものの、チケットを入手することが出来ず、とぼとぼと歩いてホテルへ戻った。「行けばなんとかなる」くらいの知識と準備しかしていかなったのだから、諦めはついた。

 それでも、パブへ行けば試合が見られるくらいは知っていたので、別の日、ワールドカップ南アフリカ大会予選のイングランドの試合をロンドンのパブで見た。大勢のサポーターが店に集まっていた。ゲームが動くまでは、それぞれが好き勝手に贔屓クラブの選手をほめそやし、ライバルクラブの選手の欠点をあげつらう。ルーニーなんて、ロンドンの選手でもないから、ロンドンの人たちは遠慮がない。ミスをすれば、汚い野次すら飛んでくる。
 しかし、ルーニーがゴールを決めると、さっきまでの罵詈雑言が嘘みたいに絶賛の声があちこちから聞こえてくる。そうなるんだろうなとわかっていても、やっぱりそんな彼らのサッカー愛を感じて、ニヤリとしてしまった。

 バンドでの英国ツアーなので、当然ビートルズの聖地であるリヴァプールにも足を伸ばした。到着したのは確か木曜日。港町は静かな街だった。ロンドンの喧騒から離れて、のんびりとした時間を過ごしていた。
 しかし、土曜日の朝、ホテルを一歩出ると、町が一変していた。
 静かだった道の両側には露天が並び、次々と赤いリヴァプールカラーのグッズで埋め尽くされていく。ホットドックやハンバーガーなどの軽食屋台からは、食欲を誘う香りが漂ってくる。見上げると民家の窓にもリヴァプールを応援するフラッグや幕が張られている。

「始まる。祭りが始まるぞ!」
 エネルギーがリヴァプールからドクドクと音を立てて湧き出ているようだった。いったい今までどこに隠されていたんだろうと思うほど、別世界に変わっていた。

 そう、その日はリヴァプールでのマッチデー。
 スタジアム観戦は早々に見切りをつけ、パブへと駆け込んだ。
 試合終了後、スタジアムから続々と人々が家路へ向かう。
 にいちゃんもねえちゃんも、にいちゃんも元にいちゃんも、未来のにいちゃんもねえちゃんも、元ねえちゃんも、未来のねえちゃんも、とにかく老若男女が歩いている。さまざな歴代のリヴァプールユニで身を包み歩いている。
 サッカー一色に町が染まったその様子に震えた。

 冒頭で紹介したのは、ロンドンのあるパブでのシーンだ。
 その日はマッチデーではなく、パブではリピート放送が流れているだけだというのに、活気にあふれていた。腰を落ち着けて、ちびちびとパイントグラスのビールを舐めるように飲みながら、試合を見ている人もいれば、ちょっと仕事の合間一息つくためだけに、そこへやってきて、サッカー談義にクビをつっこみ、サクッと店を出る肉体労働者っぽい人もいる。そして、僕らのような観光客も。サッカーという“お題”を肴に会話が弾む。そこは人種も年齢も職種も身分も国籍も関係のない場所だった。こちらの英語力なんておかまいなしに「で、お前はどう思うよ」と輪に引きづりこまれると、「気の利いたこと言えなくてごめんなさい」という気分にもなるけれど、彼らの話をほとんど理解できたような気分で、一緒になって大声で笑い合った。

 ロンドンというか、英国の日照時間は短い。10月末でサマータイムが終わると、夕方にはもう真っ暗になってしまう。そのうえ、天気が悪いから、短い秋が終わると、午前中に太陽を拝めることが稀というような環境だ。
 サッカーが労働者階級のスポーツとして始まった遠い昔、労働者たちの娯楽と言えばサッカーだけだったのかもしれない。1週間分の労働から解放される土曜日の午後、彼らはスタジアムで熱狂することで、来週からの活力を得る。そんなサイクルの中で日々が過ぎていったのだろう。
 そして21世紀の今、インターネットや映画やテレビなどの娯楽が発達してもなお、日本のようにパチンコやゲームセンターもない欧州の労働者にとって、サッカーは最大の娯楽なんだと思う。

 月曜日、仕事の始まりと共に、週末の試合について語り合う(反省会)。
 水曜日くらいになれば、次の試合のスターティングメンバ―の予想で盛り上がる。(作戦会議1)
 totoについて考え始めるのは木曜日か? 金曜日か? (作戦会議2)
 もし、練習見学が可能なら、選手たちに気合いを入れに行く日もあるに違いない。(精神強化)
 そしてマッチデーがやってくるんだ。

「ヨーロッパはサッカーが文化として根付いている」
 三浦知良さんをはじめ、欧州サッカー経験者の選手がよく口にするこの言葉の意味を理解するにはやはり、その町へ行くべきだ。そして、その居心地の良さに僕は酔いしれた。スタジアムへは一歩も足を踏み入れっれなかったけれど。

 サッカーは見るだけのスポーツではなく、プレーするだけのスポーツでもない。
サッカーは語るに値する話題に事欠かない、奥深いスポーツ。だからこそ、文化と呼べる。
 フットボール・ウィドー(サッカー未亡人)という言葉があるくらい男たち(女たちも)は、サッカーの虜になるのは、それゆえなんだろう。




<構成/寺野典子>

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●プロフィール
笹木ヘンドリクス/1988年1月8日札幌市生まれ。ヴォーカル&ギター。" ヘンドリクス " メンバーたちと共に、ライブシーンで話題を集めている。ロックの王道を背骨にしながらもあらゆる“グッドテイスト”を欲張りに取り込こもうとする雑食系ギターサウンド。言葉が突き刺さる歌とメロディラインがインパクトを残してくれる。笹木ヘンドリクスOFFICIAL SITEにて、視聴可能。


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