来週28日に、「ドーハの悲劇」から20年を迎える。悲願のW杯初出場がロスタイムに目の前から突然姿を消したという劇的な幕切れから、これまで日本サッカー史上最大の悲劇だとか、もっとも重要なターニングポイントとか、そのドラマ性について強調されてきたけど、今振り返れば、僕は特別あれが悲劇だとは思わない。

 20年前の同時期にフランスも目前でW杯出場を逃しているし、その後のW杯予選で日本も何度もロスタイムにゴールを決めてきた。つまりそうした出来事は、サッカーの現場ではまま起こりえる。その勝者と敗者で180度捉え方が変わるというのが、勝負の世界の常だね。だからあの出来事のドラマ性ばかりに注目して、感傷に浸るのはあまり意味がないことだと思っている。

 なぜかと言えば、少し冷静になって考えると、アメリカW杯は24カ国しか出場できなかった事実がある。その中でアジアに与えられた枠は2枠。当時のアジアでの力関係で考えれば、日本が出場権を得るのは相当に高いハードルだったわけだ。逆に言えば、よくぞ最終戦まで首位に立っていたとも言える。
 
 翻って、現在のW杯は32カ国で行われ、アジアに与えられている出場枠は4.5枠。W杯出場が当たり前のようになって、日本は強くなったと言われているけど、その言葉を額面通り受け取ることはできない。南アフリカW杯予選がもし2枠だったら、最終予選のグループAでオーストラリアに次いで2位だった日本は、出場権を得られなかったことになるね。

 メディアは誌面が売れる売れない、視聴率が取れる取れないでモノを作っている。痛いところには目を向けず、日本代表は強くなり続けていると喧伝している。けれど、果たして本当にそうだろうか。W杯出場が当たり前、に値する国なのか。日本の世界の中での立ち位置はどうなのか。1993年10月28日から20年という節目に立ったタイミングで、今改めて考えたいポイントだ。