09_tatsuya_1FW第7回「ハンス・オフト監督との出会い」



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「いつかJリーガーになりたい」
 そんな夢を抱くサッカー少年は多いと思います。でも、実は僕、そういう子どもではなかったんです。
 小学生のころJリーグが開幕しました。
 最初の試合、国立競技場で行われたヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)対横浜マリノス(現横浜F・マリノス)戦で決まったマイヤー選手(ヴェルディ)のゴールはテレビで見た記憶があります。カズさん(三浦知良)をはじめ、たくさんのスター選手が活躍していたのも知っていました。「スゲーなぁ。カッコイイなぁ」とは思うものの、本当に雲の上の存在でした。憧れてはいたし、好きだったけれど、「プロになりたい」という風に考えることはなかったんです。

 正直なことを言えば、テレビでJリーグの試合を夢中になって見ていたわけではないんです。サッカーは見るよりも、プレーするほうが好きだったから。生の試合を見たのも、サンフレッチェ広島の試合を一度見に行ったくらいです。実際、Jリーグの試合がある週末は、僕自身も試合や練習だったので。

 だから、それほどJリーグが身近という感じでもなかったせいか、Jリーガーになりたいというよりも、僕はただ「サッカーがうまくなりたい」という気持ちだったんです。

 地元山口県の中学を卒業して、東京の帝京高校へ進学したのも、サッカーがうまくなりたかったから。プロになりたいという思いはまったくありませんでした。

 このころは「僕なんか、プロにはなれないだろう」という気持ちのほうが強かったですね。高校でも最初は試合に出られなかったし。その後、コーチのアドバイスもあり、「ドリブル」という自分の武器を磨き、だんだん試合に出られるようになりました。そして、3年の時にFC東京の特別強化指定選手にも選んでもらい、何度か練習にも参加しました。

 でもこのときですら、「俺でいいのかなぁ」という気持ちでした。自信がないというわけではないけれど、あまり実感が湧かないという感じです。ただ、練習に参加させてもらったことで、少し“プロ”が現実味を帯びてきたのも事実です。高3の夏には浦和レッズやFC東京から、プロ入りへのオファーを頂き、少しずつ、そういう道があるんだと考えるようになりました。

 プロを目指していたわけじゃなくて、うまくなりたい。試合に出たい。という気持ちで積み重ねてきた日々が、プロ入りへと繋がっていたという感じです。

 浦和レッズ入りを決断した理由のひとつには、サポーターの存在がありました。当時はまだ埼玉スタジアムはなくて、駒場スタジアムで試合が行われていて、しかもレッズはJ2で戦っていたんですが、そういうことをまったく感じさせないムードに特別なエネルギーを感じました。「こんなところでプレーできるのか」と考えたら、ワクワクしたことをおぼえています。そして、福さん(福田正博)、(小野)伸二さんをはじめ、素晴らしい選手がたくさんいたことも、浦和に決めた理由ですね。

 プロ入りが決まってからは、「僕で大丈夫かなぁ」というような弱気や不安はまったくなかった。
 今思うと“若さの強さ”というか。とにかく「俺はドリブルをやっていればいいんだ!」という気持ちで、ノビノビやっていました。

 周りの選手も「達也には気持ち良くドリブルをさせてあげよう」みたいな感じで、僕の得意な形にお膳立てをしてくれるんです。その形なら、僕は結構やれるんですよ。だから、自信も生まれる。「これならやれるぞ」という通用する武器があると思えたので。

 得意な形、武器があることは、プロでは重要だと思っていました。苦手なことを無理してやっていくよりも武器をどんどん磨いて、強力にすることが大事じゃないかって。
 でも、僕は本当にドリブルしかできなかったんです。他のことができない、得意の形以外だと何も出せなかったんです。でも、本当にドリブルが大好きだったから、気にならなかった。ゴールを決めるよりも、ドリブルで何人抜けたかっていうほうがうれしかったですね。

 そんな僕を変えてくれたのが、ハンス・オフト監督でした。
 2002年、プロ2年目に出会ったオランダ人監督は、本当にこと細かい指導をする指揮官でした。ボールをもらうときの身体のむき、視野の確保、アイコンタクトとか……ボールを持っていない時がいかに重要かを教えてくれました。

 だから、ドリブル好きの僕は、最初のころ何度も監督に怒られました。サポーターが見守っていようともチームメイトが聞いていようともまったく関係なく、「達也!」と怒鳴られる。まるで子どもを叱る父親のようでしたね(笑)。だから、最初は「なんで俺ばっかり」と悔しい気持ちにもなりました。

「達也はなんのためにドリブルをするんだ? ドリブルで何人抜いても、得点にはならないし、試合にも勝てない。大切なのは、得点を決めるための手段として、ドリブルを使うことだ」

 何度もそう繰り返すオフトの言葉を意識することで、いいプレー、いい試合ができると徐々に実感できるようになりました。だから、信じてやっていこうと。そうして、ボールをもらう前の動きの質もあがり、自分のプレースタイルが確立できたと思います。

 ボールをもらったあと、敵をひとりも抜くことなく、ダイレクトか1タッチでシュートを打つのが理想です。それができないなら、一人を抜くのではなく、かわしてゴールを決める。それでもダメなら、しっかり抜き切ってシュートを打つ。ボールをもらう前にいい動きができれば、リスクの少ない有利で余裕のある態勢で、シュートを打てるはずなんです。

「ゴールよりもドリブル」と考えていた僕は、オフトと出会ったことで、より「ゴール」を意識したプレーができるようになりました。
 そして2003年にナビスコカップに優勝し、ニューヒーロー賞を頂きました。
 ゴールを決めることで、チームの勝利に貢献できる。そして、サポーターと共に喜びを分かち合える。そんな、プロとしての大切なことを学べたように思います。
 そして、「ゴールへ直結するプレー」というのが、田中達也のスタイルだと思います。

 オフトと出会っていなければ、僕はこんなに長くプロとしてサッカーを続けてはいられなかったと思います。ただのドリブル好きの選手で終わっていたんじゃないかな(笑)。オフトは間違いなく、僕のサッカー人生を変えてくれた人のひとりですね。

 僕はうまい選手じゃないので、どんどんいろんなことを吸収しなくちゃいけない、といつも思っています。オフトから学んだように、今も柳下監督の指導からもたくさんの学びがあります。
 子どもの頃から、たくさんの指導者、チームメイトと出会ってきました。そういう出会いの中で受けた刺激が、自分の進化のきっかけになっていると思います。それは年齢を重ねても、経験を積んでも変わりません。先輩選手からだけでなく、若い選手からも学ぶことはあります。柔軟な心と頭で、あらゆることに耳を傾け、いろいろなことを吸収し、成長していきたいです。

 最近は途中出場が続いています。
 個人として、チームの一員として、自分には何が足りないのかを意識し、それを補えるようなトレーニングを日々続けていく。そんな毎日を積み重ねで、前へ進むだけです。
 そういう向上心、貪欲さは、「もっとうまくなりたい」と思っていた子どもの頃と同じなのかもしれません。


【構成/寺野典子】