サッカーの一風変わったDVDが発売された。どう一風変わっているかというと、試合の映像がすべて“上からの目線”なのだ。「杉山茂樹のみてわかるサッカー観戦のツボ きみのポジショニングはそこでいいのか?」と題された本作は、視聴者に対し、スタジアムの一番上からサッカーを眺めたときに、ピッチ上に描かれているものは何か、サッカーのどんな部分が浮かび上がってくるか、というテーマを投げかける。なぜこのようなDVDを作ったのか、監修者である杉山氏に訊いた。

聞き手:刈部謙一

■上から見ること=客観報道

刈部 早速ですけど、なぜこういうDVDを作ったのですか?

杉山 俯瞰目線、上からのアングルっていうのは、既存のテレビ中継でもあることはあるけど、1試合やり続けてないじゃないですか。活用できていないと思うんですよね。W杯の決勝とかでもよく見ますけど、結局はお飾りの一つ、演出の一つでしかない。でもその映像、その見方をやり続けてみたら、どうなるのだろうと。僕ももっと知りたかったし、当然見えてくるものもあるのではないか、という思いがきっかけですね。

刈部 そうした見方でゲームを見ると、何が一番大きく変わってくるのですか。

杉山 俯瞰の目線で見たほうが、選手への思い込みが一切なくなるわけです。この選手が誰だなんて関係なくなる。たとえばこのDVDの中にも収録されていますけど、京都の久保裕也が若くて売り出し中の選手だという触れ込みがあったとして、上から見ているとそういうのが関係なくなるんですね。どの選手も、ゲームを構成する一つの駒として、フラットに見ることができる。内田篤人のプレーが明らかに精彩を欠いていても、内田ファンはダメだなんて言わないですよね、言いたくない。だけど上から見ていると、それが内田なのかどうかは関係なくなって、サッカーそのものを客観的に見られるようになる。そうすると、戦術なり、戦い方を際立たせることができるわけですね。

刈部 選手個々のディテールよりも、このチームがどういう戦い方をしているのか、問題があるとしたら、どこで、どういう穴があるのかが見えるということですね。いわゆるファンの目線ではなく、サッカーをどう見るかという視線でゲームを見るためのガイドってことですかね。
 
杉山 いい選手、悪い選手っていう判断基準の中に、日本はポジションワークっていう項目がないと思うんです。特に現代的なプレッシングサッカーは、できるだけ上から止めましょうっていう話をしていますよね。そのときに、いるべきところにいないと、水がこぼれちゃうじゃないですか。いくら優れた選手でも、相手ボールのときはただの人、下手すればマイナスになるかもしれないわけで、その選手がいいか悪いかって判断するときには、90分トータルでの話にしなきゃいけないんだと思うんですね。日本がW杯に行ったときなんかは、相手のほうが日本よりボール支配率が高くなったりする。そうした中で、いい選手の条件を考えると、いるべきところにいる、というのは大前提ですよね。
 
刈部 客観的に見ようとするのは、基本的には記者、書き手としても求められることですよね。ファン代表として見ている人は別ですけど。
 
杉山 上から見ていたほうが、距離感が保てると思うんですね。サッカーに限らず、取材する上で大切なことは、取材対象とどういう距離で接するか。べったりくっついちゃったら、知り合いのことを悪く書けなくなるわけで。もちろんそれも必要だけど、基本はやっぱりボールゲームを見ているわけですから。サッカーのゲーム性について語ろうとしたときに、選手個々との云々が必要以上に出てきてしまうと、サッカーゲームの客観性が薄れてしまいますよね。ゲーム性を徹底的に見ようとすると、上から、つまり距離を置いたほうがいいと思うんです。目の高さをピッチレベルと同じではなく、もっと上から、客観的に見ようと、もっと一人ひとりを駒として見ようと。
 
刈部 なるほど。「杉山茂樹」といえば、戦術論であったり、数列のフォーメーションでサッカーを語ることができるとして認識されていますが、これはその実践編、こうすると見られますよっということですね。
 
杉山 だからそれも、何も僕は最初からフォーメーションの話をしようとしているつもりはないんですね。システム論者とかなんとか言われることもあるのですが、僕がやっているのはサッカーの客観論なんですよ。サッカーをフェアな目線で見る、ゲーム性を追求する、っていうことを考えたときに、俯瞰の目線で見るという手法が合致したんです。ゲーム性の追求がフェアさの追求なんですよ。サッカーはもちろんいろんな見方がありますし、あって然るべきですが、僕はそういう見方が性に合っているということですね。
 
刈部 イングランドでは「フォーフォートゥー(4−4−2)」というのが雑誌のタイトルになっているくらい、フォーメーションの話はポピュラーですね。サッカーを考えるときにそうしたものは必要な要素としていわれているわけで、単に物事を決めつけるためにあるわけじゃないですからね。
 
杉山 日本ではそういう話がまだまだ少ないと思うんです。「杉山はフォーメーション論に走りすぎ」なんて言われますけど、別に走っているわけじゃなくて、日本に不足しているから僕は言っているわけで、つまりバランスを取っているつもりなんです。バランス感覚のある人間なんです(笑)。だから世の中がその話ばっかりになったら、僕はまた別の話をするでしょう。
 
刈部 布陣の話は、読む人が理解しやすい、理解のきっかけとなる、という部分もありますしね。いわばサッカーを考えるときの共通語としてあるという程度のものですよ。
 
杉山 だから僕も布陣図をよく書きますけど、あれは絵を描いているのと一緒なんですね。見た印象を絵にしたいわけです。僕が実は絵描きで、上手だったら、本当はもっとすごい絵を描きたい。でも描けないから、これを世の中に人がぱっと伝えるためにどうしたらいいかというのを考えたときに、フォーメーション図を引いてみたり、数字を並べたりする。つまり数字を使っているのは、デザインの紹介なんです。数字じゃなくて、記号美術っていう感覚です。でもそういう感覚に慣れていない人が見ると、お前は数字から入りすぎ、なんてことになる。言いたい人の気持ちもよくわかりますが、こういう見方が不足していると思うから、僕は書き続けるわけです。抽象的な文章を書いているよりよっぽどわかりやすいと思うんですけどね。
 
刈部 杉山さんのいいところは、世の中いろんな見方があるから成立する、という基本のスタンスをしっかり理解しているところだと思いますね。ジャーナリストはそういう感覚を持っていないと基本的なダメですよ。唐突ですけど、僕の師匠筋なんで例に出しますけど、田原総一朗氏なんかも、実は常に反対にいく、逆張りをしていくわけですね。世の中には多様性がなきゃダメなんだと。
 
杉山 バランスですよね。世の中的なバランスを考えてるんですよ、これでも(笑)。

■誰がサッカーの敵か

刈部 次に、ザックジャパンについても触れてもらえませんか。フォーメーション話でいうと、彼の場合「3−4−3」という言葉がひとり歩きしていたりしますよね。

杉山 先日、清水のゴトビ監督にインタビューする機会があったんですが、やっぱり思うのは、話がおもしろいんですね。自分のやりたいサッカーを明確にしている。具体的に攻撃サッカーとは何かと訊いたら、ゴトビはダーッと語るわけです。自分なりの定義として自分の言葉で語るんですね。ところが、ザッケローニはいくら聞いても出てこない。なんとなく攻撃的サッカーっぽい雰囲気の言葉を吐いても、そのあとが続かない。代表戦後の記者会見でも、あれだけの長い時間をしゃべっているのに、こちらがおっと思うような、触発されるような言葉が出てこないんですよね。それはたぶん、選手も感じているんじゃないかなと思いますね。いきなり3−4−3をやれとか言われても、なんですかそれって。そこに話としての関連性がないから。
 
刈部 関連性がないというのは?

杉山 今の4−2−3−1と、ザッケローニがやろうとしているフラットな3−4−3の間に、なんの関連性もないということです。試合中にぱっと変えられない。たとえばヒディンクは、2002年W杯で韓国を率いたときに、中盤ダイヤモンドの3−4−3から、4−2−3−1にスッと変えました。これは監督が使う戦術として確かなものです。ザッケローニの場合、4−4−2でイタリアのプレッシングサッカーを体現し、それよりも効率的だろうということで中盤フラットな3−4−3を構築した。だから中盤フラットな4−4−2と3−4−3は親戚関係で、これを試合中に変えるというのは話がわかる。ところが、今の借り物の4−2−3−1から、中盤フラットな3−4−3は移行しにくいわけです。選手の特性から言ってもそうです。だからロジックとしては、3−4−3をやる前に、4−4−2を練習したほうがいいんじゃないかなと。そういう段階を見せてほしいですよね。今は借り物の4−2−3−1ですから。

刈部 ただ、代表監督というのは、とりあえず結果を出さなきゃいけないという問題があります。そのために無難にいこうみたいな感覚が見えますよね。しかしそれだとW杯に出ていったときにどうするのかと思ってしまう。今やアジアでは相当なことが起きない限り突破できますから、「その次」も意識していかないとダメでしょう。

杉山 次のW杯に行っても、日本のオッズがグループの2番に上がることはないと思うんですね。どうしても3番、4番になってしまう。そうすると、強豪を一つないし二つは食わないと、ベスト16には進出できない。そのときに、4−2−3−1で普通にやっちゃうと、相手の方が強いわけですよ。相手もそれに慣れているわけですから。だから3−4−3みたいなオプションは、一発逆転的なところで持っていていいと思うんです。たとえば本大会でのオプションであると、はっきり伝えてやるならまた別だと思うんですけどね。

刈部 無難に試合をこなしてしまうのは、予選以外の対外試合のマッチメイクの問題もあると思いますが。

杉山 これはゴトビも言っていたんですが、日本がアゼルバイジャンに2−0で勝った同じとき、韓国は1−4でスペインに負けてるんですね。ゴトビいわく、日本人の問題は負けを恐れていることだと。練習試合でさえ負けられなくなっているわけですよ。メディアの問題か、広告代理店の問題から、いろいろあると思いますが、「負けられない戦いがそこにある」っていうキャッチコピーがすべてを象徴してますよね。いいんだって負けても。フレンドリーマッチはどんどん強いところとやって、どんどん負けて膿を出したほうがいいんですよ。

刈部 そういう意味ではトルシエ監督当時のほうがまだよかったかもしれませんね。0−5というフランス戦の負けには意味があったですから。試合後の選手達の落ち込みようは半端じゃなかったですし、でもあれがあったから、ベスト16も可能になったと思えますね。

杉山 今はボロ負けなんてもってのほかという空気ですよね。波風を立てることを、協会やメディアが恐れている。とにかく無難にW杯に出れば日本代表産業は儲かると思っている。でも実際は逆だと思います。強い国にボロ負けしたり、予選で負けたりしたほうが、次への熱になる。今の日本サッカーは、業界的に全然熱くないんですよ。サッカーの本質と、日本式興行の盛り上げ方が合致してないと思うんです。サッカーらしさが根付いていない。バレーボール式の盛り上げ方でいいと思っているけど、それは違いますよね。あれは嘘の盛り上がりですから。

刈部 もっとサッカーを取り巻く環境って本来的に熱いものですよね。普段のJリーグがあって、さらに海外の選手達の活躍も見られる、それが代表でどう結びつき、それぞれの個性も含めて、チームとして表現されるのか、そんな興味の深さがありますからというか、あるはずですから、誰かの盛り上げなんてなくても本当は良いと思いますけどね。そのあたりは、同時期に出た「ドーハ以後ふたたび」(PHP研究所6月刊)も読んで欲しいところですね。

杉山 まだ日本では、サッカーの本当の魅力が炙りだされていません。むしろ「ドーハ以後」の方が熱かった。ドーハの悲劇からジョホールバルの勝利にまでの4年間は、日本サッカー界が過去最高に盛り上がった時期でした。それから日韓共催のW杯を経て、日本代表人気は引き続き活況を呈していますが、当時のような熱さは影を潜めてしまっている。サッカーらしくない。というわけで、僕はいつも、そのあたりの少しばかり嘘臭い体質をぶっ壊す動きをしていきたいと思っています。微力ですが。サッカーはもっとおもしろいってことを伝えたいんです。波風を立てるのを嫌っている人は、サッカーの敵ですよ。

刈部 そう思いますね。今日はありがとうございました。


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杉山茂樹の みてわかるサッカー観戦のツボ きみのポジショニングはそこでいいのか? [DVD]