ここまで物議を醸さなかった“神の手ゴール”は珍しい。歴史をひもといても、本家であるマラドーナはもちろん、一昨年にフランスをW杯予選プレーオフ勝利に導いたアンリの“神の手ゴール”が、国民や政府をも巻き込んだ大騒動になったのは記憶に新しい。日本でも、磐田在籍時の福西崇史氏の“神の手ゴール”にスポーツ紙が飛び付き、たまらず審判委員会が摩訶不思議な見解を発表したこともある。にもかかわらず、今回はその時ほどのインパクトを世間に与えていない。

G大阪の先制点となった一点目は、間違いなくアドリアーノの手にあたっている。もちろん、手に当たればハンドというわけではない。『ボールを手で扱う』とは【手がボールの方向に動いているか】【相手競技者とボールとの距離。予期していないボールかどうか】【手が不必要な位置にある場合は反則である】などが考慮される。

以上のことを加味すると、「アドリアーノに意図はなく、倒れた体を支えるための手で、不必要な位置にないため誤審ではない」ということもできる。とはいえ、見えていれば審判団もハンドをとったと思うし、私もハンドをとるべきだったと思う。

そんなプレーがあったにもかかわらず、ピッチ、そして会見でも遺恨のようなものはまったくなかったらしい。そこには、フェアと評されるG大阪と山形の姿勢がある。アドリアーノの“神の手”が意図的ではなく、それを山形の選手たちも感じていたため、ハンドのアピールはしたものの、そこまでの異議を唱えなかった。それでも、審判や相手への不信感があれば、不満を口にしたくもなるだろうが、この試合の全体のレフェリングは非常に妥当なものだった。

ミスは当然なくさなければいけない。「審判は正しい結果で試合を終わらせなければいけない」(岡田正義氏)からだ。ただ、逆にいえば、選手やサポーターが正しい結果だと感じれば、たとえミスをおかしても判定を受け入れてもらえるともいえる。

Jリーグ開幕当初から、選手と審判の関係は決して良好ではなかった。それは日本リーグからの流れだったという。上川徹トップレフェリーインストラクターや柏原丈二主審は、選手としてプレーしていた日本リーグ時代を思い出し、当時のことを苦笑いしながら教えてくれる。そんな選手と審判の関係が壊れていたJリーグだが、徐々に良い関係が生まれつつある。今回の“神の手ゴール”は、そんなことを感じさせてくれた。